終わった話

経過した事物

2022.02.02

朝のストリーミングサービスのシャッフル再生でnever young beachの『海辺の町へ』が再生されて、ちょっと、いいんじゃないのこれ!?と気がついて、アルバム『A GOOD TIME』を通して聴いたらめっちゃめちゃよくって、あとはそのきらめきだけで生きていた日だった。

音楽っていいですね。あるいはちょうど、今日の朝の光がネバヤンの音に似ていたのかもしれない。

ちょっと紫がかって、すこし遠くまで見えるような光だった。

(あけぼの、紫だちたる雲の細くたなびきたるってこと??もうすぐ春なのか??)

 

仕事へのやる気、というか負けん気(おおむねの事は自ずから負けさえしなければいつか勝てるものだと思っている)を取り戻しつつあり、たぶん単純に体調がいいんだろうと思う。

また今日も、自分はまだ全然わかっていないな、と思う出来事があり、もうすこし頑張ってやるか…という気持ちになった。

いつもこのくらい元気だといいんだけれどな。それならやれることも増えると思うし、楽しくもなると思う。

いまはぐちゃぐちゃに絡まった自律神経を整えることに専念するしかない。

 

退勤するとやっぱりなんだかんだ疲れていて、家に帰って聴くのを楽しみにしていた『STORY』は明日以降の楽しみに回すことにした。

豚汁が少しあやしい味になってきていたので、目減りするのを恐れずにグツグツ煮立てて菌を殺した。

冷凍保存してある小分けのごはんが減っていたので、明日の朝に炊飯を予約した。

こうしたものを食べて、あと2日生きます。その後ももちろん。

2022.02.01

眠すぎて、記憶が曖昧。

バタバタして、外勤して、ラーメン食べて、外勤して、パタパタしてたら定時になった。

 

入浴剤は入れずにさらのお湯に浸かって、大量につくっておいた豚汁を温めてごはんを一膳食べた。

目が疲れているので、画集を見る。精巧に塗られている光を見ると、無いはずの記憶がよみがえる。ただそこにいるだけで全てが美しかったあの時。

あの場所に行くために、明日も頑張る。

2022.01.31

満を持して臨んだ職場は2文字でいうと「最悪」で、3文字でいうと「不機嫌」だった。

ここはのみんなの不満の坩堝なんだと思う。

不安定同士が接触して変異を起こしているのを横目に不安に思いながら、目の前のことと、これからのことを考えていた。

一生懸命やるぞ、と思うと今度はどの程度一生懸命になればいいのかわからなくなるもので、今度は切り上げどころがわからない。

たぶん私は与えられたあるひとつの事項について、必要以上に調べたり、いらん気遣いをしたり、余計な思いつきを追ってしまったりするから、都度都度だれかに指示を仰いだ方がいいんだと思う。

すげーつかれる。こんなに工夫しないと生きていけないのか?みんな偉いな……。

 

コンビニのレジ横に晩のおかずを買いに行ったら焼き鳥だけが残っていて、まだ月曜だけどこりゃもう仕方ないな〜!ビールだな〜!だった。

見たかったドラマを見ながら、もう何も考えないぞ、の気持ちで晩酌をして、お酒を飲むならお米はやめとこうと思っていたのに、何も考えずにお握りまで握って食べた。

たいそう楽で楽しい、けど、きっと明日の朝はひどくねむいんだろうな〜と思う。

浮かれてばかりいられるような健康な心身が欲しい。

2022.01.30

数カ月ぶりに、夜中に一度も目覚めずに朝を迎えた。

友人のおかげ?バブのおかげ?とにかくうれしい!

ベッドから起き上がると、昨日掃除をしておいたおかげで部屋が綺麗になっていて、これもまたうれしかった。

清潔な床の上で過ごすのは気持ちがいい。むしろ、床が清潔だからこそ家にいられるともいえる。

気持ちよさのままに、午前中はずっと寝そべって本を読むなり飯を食うなりしていた。

これが人生の主目的ならいいのにな、そういうわけにはいかねえってことなんですよな。我々は複雑で複合的だ。

 

朝ごはんを食べたらもう風呂に入って酒を飲みたい気持ちになったけれども、あまりに早すぎるので時間を潰して夕方を待った。

雪が溶けてアスファルトがちらほら見えていて、散歩をするのにいい感じだった。

暖かい日なのかな、と思って天気予報を見たら-3℃で、やれやれだった。

歩きながら久しぶりに飲んだコンビニのカフェラテのカフェインが効いて、血管がカーッとなった。

回転寿司屋に行ってカウンター席でカップルに挟まれながらも自由に選択して楽しんだ。

TSUTAYAの本棚は情報量が多くてすこし参った。

今週もまたりんごを煮て、家にある中でいちばん大きな鍋にたっぷりの豚汁を作って、夜になった。

風呂に入って、だいぶ薄めた酒を飲んで、長電話をして、寝た。

また1週間がはじまる。

2022.01.29

二日酔いの気怠さを水に流すように風呂場でゴミ箱をまるごと洗って、その勢いで部屋全体を掃除した。

カーペットをひっぺがして掃除機をかけたのは久しぶりで、もしもいま願いが叶うなら、もっと吸引力のある掃除機が欲しい。

風呂もトイレも一気に洗って、シーツもクッションカバーも洗濯して偉かった。これは偉業の記録として書き残しておく。


声をかけてもらって、友だちとお喋りした。

ぽつりぼつりと仕事の話をして、まんまと癒やされて、高校の最寄り駅の駅前の謎のインドカレー屋で駄弁っていた私たちがなんでここでこんな話してるんだろうね不思議だねって、いつも言ってしまうし、いつまでも不思議だ。

教員になった友人の発する言葉は会うたびにどんどん先生らしさを纏ってきていて、それが立派で格好良く見えて、自分もすこし頑張るか…という気分になる。

もう少しだけ話をしたくて向かった2軒目の喫茶店は母の母くらいの世代の「カワイイ」が詰まったようなファンシーな内装で、出てきたパフェは生クリームとアイスクリームが山盛りで、休みの日じゃないと居られないような空間で休みの日じゃないと食べられないようなものを食べながら、到底仕事の話どころではなかった。

 

入浴によりいっそうのリラックスを求めてドラッグストアに入浴剤を探しに行き、事前に思い浮かべていた1包150円くらいのおしゃれな入浴剤たちへのあこがれは、どどんと陳列された12包348円のバブをみた瞬間に白旗を掲げてしまった。

日本の入浴剤市場はバブが占拠している。ということは、入浴の習慣がある国は限られているはずなので、もしかすると世界の入浴剤市場もバブが占拠しているのか、、、?

バブを入れたお湯は心なしか、少し暖かさが持続するような気がした。

追い焚き機能のついていないアパートの浴槽で、人体に熱を奪われてお湯がぬるくなるまでのあの切ない時間が、ほんの5分くらい伸びるような気がしている。

2022.01.28

真面目に仕事をしてたらあっという間に定時になった。

 

浪人生だったときに予備校で担任をしてくださっていた先生の「頑張らないことで自分を苦しめてるけど、それは自傷行為だよね」という言葉が人生に棘として刺さっている。

私には生粋の頑張りたくなさがずっとあって、でも頑張らないとダメなんだよねやっぱり。

少なくとも、頑張らなくては成せない仕事を与えられた上で相応の対価を貰っているのであれば、成せる程度には頑張ったほうがいいんだろう。

そういえば前職の上司からは「頑張っているけど、頑張る方向性がいつもトンチンカンだよね」とも言われていたな。

その2つの組み合わせ最悪じゃない?どうしたらいいんだよいったい……。


金曜日だったので、久しぶりに自分だけの愉しみとしての酒を飲んで、たいへん愉快な気持ちになった。

味がうまいし、脳が気持ちいいし、こりゃみんなハマるわ、と改めて思う。

すごく楽しく、すこし寂しい気持ちになりそうになって、それ以上は缶を開けるのをやめた。

深淵を覗くとき、俺が自ら深淵を見ているのだ。

2022.01.27

職場で昼の歯磨きを徹底するようになってから、午後イチの機嫌がすこしいいような気がする。

たぶん、オフィシャルな場所で口腔内というプライベートな場所を刺激できるのがなんだか愉快なんだと思う。

あと、口腔を刺激する事自体が、かなり気持ちよくて、スッキリする。

風呂然り、排泄然り、自分の身体を清潔に保つための行為って、真面目にやると結構気持ちがいいものなのかもしれない。

日々化粧室で丁寧に歯を磨く皆様のことをマメで素敵だなぁと思っていたけれども、みんな真面目な顔してこんなに気持ちいいことをしていたんだなって、ちょっと下卑た気分になる。

 

いろいろあって、いやむしろ別になんにもなかったのにひどく落ち込んでしまって、失意のままに無気力に「キューピー和えるパスタソース たらこ」を冷凍うどんに和えて食べたらあまりのおいしさに強制的に脳がご機嫌になってびっくりした。

化学(調味料)のちからってスゲー。シナプス直接つなぐ美味しさ。

なんか美味しいもの食べたいけれども何が食べたいのかわからないなってときは結構あって、そういうときはとりあえず、消化の良さそうなものに化学調味料をまぶしたものを摂っておけばよさそう。

2022.01.26

今日も優れなかった。

元気に仕事をできる日が全然なくて、全部諦めてしまいたくなる。

ぼーっとした頭でこなしていたら、いつもの倍速くらいの体感で時間が進んで、あっという間に定時になった。

やったーと思って家に帰ってからもいつもの倍速で時間が進んで、ぼーっとしながら家事をこなしていたらあっという間に寝る時間になった。

やばいなんか落ち込みそう寝る前に元気出ることしなきゃ、と思って気分が上がりそうなことをいろいろ考えたけれども、たぶんこういう時はなにもしないをした方がいいんだろうなと思い直して、こたつに入ってみかんを食べながら天井とかを見て30分くらいぼーっと過ごした。

何かが変わった気はしなかったけど、何も変えないことはできたのかもしれない。

2022.01.25

子宮から出血していて、常に痛い。

もし今が縄文時代であれば私は既に子を4人くらい産んでもうじき死ぬくらいの歳だったはずで、そんな私が今月も子供を作らなかった罰?と思うくらいに腹が痛い。

デスクに座ってすらいられなくて、帰って家で寝ていた。

情けない体だという思いが半分と、わかってほしいという思いが半分。

私の文章には誇大な比喩が多いけれども、こればかりは誇張でなく、現代社会は女性に向いていないなと思う。

 

(損害を与えられる場面を抜きにしても、我慢や無理を強いられる場面が結構ある。

これも、各々の親しい関係性の中でケアされていくべき事項なんだろうか?

あるいは個人の努力で乗り越えるべき問題なのだろうか。

我々の肉体の半数が生物学的に女性である以上、あまりそうは思わないんだけどな。)

 


スズキナオさんのエッセイ『深夜高速バスに100回くらい乗ってわかったこと」を読んだ。

スズキさんの文章は、スズキさんの「人が好き」というお人柄がじゅわじゅわ滲みまくっている文章で、具合が悪い時でもスッと頭に入ってくる。

「誰も知らないマイ史跡めぐり」という、友人の思い出の場所を一緒に巡る話を読んで、恋人とはよくそういう極めて個人的なコミュニケーションをとるけれども、たしかに友人や知人とはあまりそういう話をしないな、と思った。

どんな関係性の人であっても、胆力とアイデアさえあれば、関係性を飛び越えてつながりを持つことはできるということなのかもしれない。

ちょうど昨日考えていたケアの距離感についても、本当はそうなんじゃないの、と思う。

ただ職場において1番優先度が高いのは各々の職務である、ということかもしれない。

組織にばかりかまけていて仕事ができなくては元も子もない。

 

自分のために休んだのにまた職場のことを考えていて、元も子もない。

 

 

 

2022.01.24

深夜になっても眠れなくて、目を瞑ってひたすら音楽を聴いていた。

瞑っているはずなのにちかちかする視界の中で、seihoさんが睡眠のためにつくったアルバム『DESTINATION』の『INTRODUCE』の「毎晩、眠りにつくたび、私は死にます」「そして翌朝目を覚ます時、私は生まれ変わる」という二節を聞いて、たしかに、と思った。

眠ることとは生きたまま死ぬことで、それならば私はいま、はやく死んでまた生きたい。

そうやって眠りについたことを職場で昼休みに思い出し、夜になったらまた死ねる、と考えていることに気付いて、この思考はいかがなものだろう、とハッとした。

 

給湯室で先輩と出くわし、職場がシリアスな状況になっているという認識を共有して、すこし気が楽になった。おかしくなっているのは私だけではなかった。

調子を崩している人たちが何人かいることが心配ですと話をしたら、お手伝いできることをなるべく手伝うことしかできないね、と言われて、そこでやっと、職場の人を抱きしめることはできないんだと気が付いた。

人と人の付き合い方にはいろいろあって、職務で付き合う人には職務上の行為でしか接することができないのだった。

家族や友達のような親しい関係性の人に対して行うようなケアを誰にもできるというわけではないし、むしろそうする必要はない、ということがわかった。不特定の人へのケアについては、それ自体を職務とする人がいる。

私は、人としての部分で、同じ空間にいる人同士はケアし合うべきだと考えていたのだけれども、我々はそううまくいくようにはできていないらしい。

こんなに長い間生きてきているのに、ちっともうまく生きられるようにならないんだな、と思った。

 

夜、昨夜つくっておいた鍋を温めて食べた。

よく澄んだ鍋は湯船によく似ている。

みんなにそれぞれにとってのあたたかい場所があるといいなと思う。

2022.01.23

昨日手に入れた器に目玉焼き丼をよそって食べた。

工業品ではない器に自分で作った飯を盛るのははじめてで、箸があたって食べ物がすべる感触がまるで人肌みたいなあたたかさと滑らかさで驚いた。

土って、焼いてもなおこんなに水分を保持するの?

有機物と無機物が混和している物質だからだろうか。

 

晩ごはんに鍋を作って蓋をして火を通す間、ずっと放置していた資源ごみの分別をした。

前の職場で試薬を扱う仕事をしていた時、びん類の処分に際して、水を流しながら擦ることで剥がせるラベルと水に濡らすと剥がしにくくなるラベルがあることを知った。

あの時、流し台で試薬の強い匂いにやられながらなんでここにいるんだろうと思っていたし、じゃあいまなんでこの町のこの部屋のこの台所にいるんだろう、と考えてもよくわからない。

 

もうしばらくすると新しくもなくなる自分にとっての新しい職場で、軽い適応障害のようになっている。

前の職場でも同じくらいの時期にこんな状態になっていた。

いてもいい場所のこと、いつまでたってもわからないなと思う。

いや、いてもいい場所というよりも、いなくならなくてもいい場所がはたして存在するのか、私は自信がなくなっている。

2022.01.22

はじめての美容室で髪を切ってもらった。

担当してくださった美容師さんは斜めに切った前髪がとてもよくお似合いで、雑談の流れで「前髪が片側だけあがって跳ねる癖があるので、その癖に合わせてエイヤ!と短くしているんです」と教えてもらって、それはとても素敵なことだな、と思った。

私達はそれぞれに均平でなく、だからこそ自分に合うかたちというものはきっとあるんだろうと思う。自分でそれを探したりつくったりできる人はすごい。

お客さんが趣味で作られているらしい綺麗な器が破格のお値段で売られていて、2枚買って帰った。

なんでもご自宅に窯をお持ちで、どんどん焼いてしまうのでどんどん人手に渡ってほしいらしい、とのことだった。

趣味でつくるってこういうことなんだな、とちょっと思い知らされる。

 

あるときふと髪を染めるという行為に納得できなくなって、それから今に至るまで数年間を素髪で過ごしているんだけれども、美容師さんの素敵な髪色を見ていたら、もしかすると染髪は化粧みたいなものなのかもしれない、とハッとした。

なりたいようになるための行為、あるいはそもそもの身だしなみ、そもそも装いとはそういうことなのかもしれなくて、それに気付かなかった(無頓着だった)自分が恥ずかしい。

あるいは今日がちょっとあたたかい日だったからかもしれない。

顔を塗装することに抵抗はないので、髪も塗装してもいいのかもね、と思うに至るだけの条件が偶然にも揃っていたというだけのこと。

 

すこし外に出ただけでまた頭が痛くなってしまって唖然としたけれども、無理をせずに家で過ごしていたら夜には回復したので安心した。

有り物で手癖で作るお好み焼きに冷凍庫で凍り続けていたタコを刻んで入れたら、思わぬ風味が出て嬉しかった。

浴室でお湯は今日も凪いでいた。

2022.01.21

これまでよりもすこし早く目が覚めるようになったので、これからはすこし早く起きることにした。

ツナとチーズを挟んだホットサンドを食べながらインスタグラムを見ていたら、おいしそうなピザの画像が目に飛び込んできて、一瞬脳がピザを食べている時の状態になっておもしろかった。

感触の記憶は体験とその反復によって学習されるので、うれしい事物について自分の肉体がそれを憶えていることは幸せなことだなと思う。

繰り返しそれを与えられた経験や、それを施してくれた環境が身の回りにあるということだから。

 

仕事を終えてコンビニに寄って、あれば欲しいなと思ってたものが見事にほぼなくてややシュンとしたけど、家に帰ったらテレビでお笑いの特番が放送されていてハハハ!と笑った。

うれしい気持ちにサンドイッチされた日になってよかった。

2022.01.20

ちょっとマシになった!と思って起きた。

 

帰宅後に40度程度のぬるめのお湯に15〜20分浸かることを習慣づけようとしていて、これはどうやら散歩に似ているぞということに気付いた。

はじめるまでは世界中に対して拡散していた意識が、決められた時間や空間の中で反響することによってじんわりと自分の内部に向かっていく感じ。

意図的にリラックスをつくりだすこの行為を俗に入浴というらしく、これまで私は入浴を知らなかったのだな、と思った。

私が入浴だと思っていた行為は、ただ体表にお湯を流しているだけのことだったらしい。

汚れを落とすことと身体をやわらげることは別の目的をもつ別の行為なのだということがわかった。

 

未知の友人からの手紙が届いていて、嬉しく読んだ。

インターネットに人格を介すると地理的条件に縛られない交友が生まれておもしろい。

と同時に、普段の自分の前に広がっている選択肢は、物理的な環境の影響を強く受けているんだなと思う。

どこからどう生まれたのかも推察し得ない価値が、自分が思っているよりもはるかにたくさんあるということ。

友人がつくったシールがきらきらしていて綺麗だった。

2022.01.19

数日前から(おそらく)体調を崩している。

高熱にうなされるということはなく、平熱なのに額が熱くて、ずくずくと痛くて、とってもだるい。

お腹も痛いし、うまく食べられないし、力が入らなくて、内臓が正常に動いていないような感触。

いつもできていたことが急にできなくなって、いつのまにか社会のはずれに出てしまったかのような呆然感。

たぶんいつも通りじゃないんだけど、むしろいつも通りってどんなんだったっけ?

どうやって存在していたのか思い出せない。というか、なんで存在していたんだっけ……?

 

数日ぶりに職場に復帰したら思っていたよりも気を遣われてしまっていて、それに安心したり、かえって不安になったりしながらとりあえず存在していた。

休んでたし病院行ってたし当たり前にたちまち元通り、が期待されているのだろうと思い込んでいる(自分がいちばんそれを期待している)んだけれども、特に病名はついてないし、特効薬的な処方もないし、回復の見込みもないし、途方に暮れている。

 

昼休みになってもあまりに胃が不調で、1人で働きながら暮らしていても胃を労われるような簡便な自炊レシピを自ら考案しようとしかけた。

実際に自室に戻ってからの活動としては、ぬるい湯に長めに浸かって、大量のうどんを食べて、床を綺麗にした。

はやく正気に戻りたい。正気に戻りたくて日記を書いている。