終わった話

経過した事物

2023.10.02

朝。カフェインレスのドリップコーヒーを淹れて、昨夜恋人が作ってくれたナスミートソースを30%引きのパンにつけて食べた。美味しかった。こんなに美味しいものかと思った。全ての関係の組み合わせが最高だった。こういう朝ばかりがいいと思った。

昼になるまでには家を出て、イオンモールに着いた。スターバックスで知らない飲み物を飲みながら人生設計やしばらくの間の計画について思索しようと思ったがあまりノらず、無計画のままにモールを彷徨った。仕事用の、場から浮かなくて気持ちも浮つかなくて汚れが目立たなくて洗濯しやすくてアイロンがけ不要の服が欲しいが、しっくりくるものがない。散々彷徨い、結局は無印良品でしっくりこないシャツといつもの靴下を買った。昼はフードコートで、ペッパーランチビーフペッパーライス、小。中を頼んでいると思われる人のものを見て、小にした。全然ちょうどよかった。ビーフペッパーライスを食べるのははじめてで、たまに自宅で再現レシピと検索して出てくるものを作って食べてはうまいなと思っていたけれども、全然味が違った。食べ方になんの落ち度もなかったはずなのに、銀歯がとれた。多分銀歯の寿命。歯医者に電話したら水曜午前なら空いているとのこと。予約。本屋で手帳を見る間、たまに奥歯で胡椒を噛んで、頭が痺れた。お金の使い方をわかりたくて、FPの教科書と生活用のビジネス本的なものを読む。とりあえず、FP3級のテキストと金融庁のHPを読むのかいいと思った。ビジネス本的なやつは不要。ミスドを買って帰った。

雨。仕事用の服を求めて、帰路のイオンスーパーセンターに寄り道。ハニーズで汚れが目立たなくて洗濯しやすくてアイロンがけ不要でけっこうしっくりくるシャツが1,780円で売れていて、3枚買う。こっちの日だったのか。

雨。帰宅。この間作ってもらって美味しかった回鍋肉のレシピをLINEで転送してもらい、回鍋肉をつくる。おいしい。食後はシャワー。シャワー後はヘアオイル。シャワー後はドーナツ。『ミスドスーパーラブ』。おもしろい。

手のひらに納まるくらいの幸せこそ、だと思ってはいるが、それを受け止めるためには私の両手は埋まりすぎていると思う。なんなら両腕までつかってガラクタを抱え込んでいる。己は愚かだ、とぶつぶつ言いながら、歯磨きをする前に洗面台の下を整理整頓した。たぶん、家計簿をつけることからはじまる、と思う。

2023.09.18

もういいやってことにして、海辺に行った。

なにもわからなくなっていて、目的地への到着時には観光案内所のポスターの文字も読めない有様だったが、しばらく地面の上に転がった後、ゆとりのある食堂でゆとりのある定食を食べたら回復した。きらめくパンフレットを選んで読んだ。

芝生の海岸と、砂浜の海岸の、両方を楽しんだ。足裏から登ってくる熱の感触が異なっていた。崖の上でソフトクリームも楽しんだ。私がソフトクリームを食べるのによい気候は、ソフトクリームにとってわるい気温なので、食べるのによい場所を探している間に、ソフトクリームの表面がかなりとろりとしていた。ワッフルコーンを選んでよかった。

音にまつわる展示を見た。わりとこじつけのような気がした。セレクト本屋で本を見た。心がたのしげだった。何も買わなかった。もうかなり大丈夫になっていた。

2023.07.05

重圧や不調により気持ちと判断が弱ったが、事務所に帰ると上司や同僚が私の目を見て冷静で的確な伝達をしてくれて、平静を保てた。
ダメな状態の私をまともだという前提で見てくれるということは、普段の私の判断や振る舞いをまともと判断してくれているということで、その事実に安堵する。

恋人と断続的に連続的な通話をして、安らいだ。
そのあと、ラクトアイスの人工的なメロンの香りや、甘さや、タスク管理アプリのメッセージに慰められ、励まされる。

弱っていても、安堵を受け取れるようになったことはいいことだ。
(以前は受け取れもせず死にたがってばかりいたが、いまはあまりそうは思わない)
(そうなったことに対して、ちょっと泣く)

2023.05.10

精神が労働に順化してきた。
そうそう、そうでした、躁でした、この処理速度。

振り返る暇がなくて振り返られない日々が、積み重ならないのはそれはそうだなと思う。
思考しても試行しても施行しても終わらない、同じ内容を刷りつづけるような日々の末に、また同じようなミスをする。
どうしようもないな。状況も私も。

2023.05.08

連休前に電話番号を交換したことで、はじめて職場の人にFacebookアカウントがばれて、私と私は同一人物だった、と思い知らされた。
6年前の私は、だめです、というようなことを投稿していて、そういう姿勢こそがだめだなと考え、つまり私は私に対して、同じ内省を持っているらしかった。

残業してなお明るい夕方に、通用口の銀のサッシを横にひいて外に出ると、鼻の奥にすこし冬のにおいがした。そのとき、外気は7℃だったらしかった。

2023.05.07

なんだってだめだ、と思うのは常々のことで、今日が連休の終わりならばそれは、なおのことそうなのだった。
いまの私は、職務に必要となる資格をとるための試験の受験を控えていて、GWのありあまる時間はそのための勉強時間にしよう、とは思えはしたものの、だからといってそうできるわけではないのだった。
結局は、たっぷりと寝て、野球中継を見て、低気圧で頭が痛くて、水出しのお茶をたくさんつくってたくさん飲んで、家で作るごはんがおいしかった。
ありあまる時間のなかで気を抜いていると、すぐに昼になって夜になって、だからあらためて外に出ることをせずに、近所のスーパーで買い出しをしたり、家にあるもので作ったり作ってもらったりして食べることが多かった。
たとえば、冷凍水餃子と長ねぎのスープ。総菜の春巻き。ミートソーススパゲッティ。生ハムとチーズとベビーリーフのバケットサンド。うるいとさくらえびのパスタ。焼き肉用野菜セットの中のキャベツを刻んで作ってくれたお好み焼き。

この断片的な日々が、連続していないのならばうそだ、と思って、ブログのトップページの表示形式を一覧表示から全文表示に変えた。
仕事をする私と、生活をする私と、文章を読み書きする私とが、連続していることを、いまだ信じがたく思っている。

2023.04.17

職務で必要となる資格の取得に向けた研修に参加し、ぐったりとした。

日々は繁忙で、それによって情報に溢れていて、書き留める間もなく整理する間もなく、しかしそれとは別に勉強すべき事項はあり、それぞれに期限があり、(ここで気が狂ってしまえばいいのだがそうともいかず、)気が重い。

どうしようもない、と思い、パンを買って、清美オレンジ徳用6個入り399円を買って、帰った。

参考書をめくって、オレンジを剥いて、ティッシュで汁を拭って、シャーペンを手に持って、筆記すると香って、そういえばアロマってこれか、と思い出した。

2023.01.19

あるあるのかなしみにとらわれているとき、占い師に無責任な言葉でももらおうかな、くらいの気持ちで「(該当する単語)」を検索すると、Yahoo!知恵袋にたくさんの解があってしまって、嫌になる。

そのとき、部屋には私以外にもうひとりいて、このままだとこの人の前で泣いてしまいそうだと思い、シャワーを浴びた。

 

お湯を浴びながら、そういえば音楽があった、と思ってゆらゆら帝国を聴いた。頭の中のイライラと音の波のイガイガがちょうどよくって、とても気持ちがよかった。

風呂上がりにはフィッシュマンズを聴いた。こういう、情動の交互浴のような悦楽に浸ってばかりいた時期があって、それを抜けたと思ったら、20代のおおむねは既に過ぎ去っていた。

 

去年の今頃も、日記を見返す限り、妙に落ち込んでいたようだった。そういえば、「冬期うつ」という言葉もある。

すべてのかなしみがあるあるになる日のことが、恐ろしくもあり、待ち遠しくもある。

2022.11.24

霧雨で、本来ならまばゆいはずの朝日が程よく遮られて、鈍い光が窓から差し込んでいる。
夜勤明けの身体を沈めるのにはふさわしい光だ、と思って、浴槽にお湯を張った。
浴室の壁と浴槽の白が、素材が異なるから同じ白でもやや違う色をしていて、それらはまとめてすっぽりと窓から差し込むグレーにつつまれていて、見つめていてもなんの情報もなく、刺激的でなくて、綺麗で、心地がいい。
これは旅行先の温泉で朝風呂に浸かっている時と同じような気持ちだ、と思った。
時折、日常の喧騒からは全く無関係のような、台風の目のような時空間にふいにたどり着くことがある。
例えば、風に吹かれる広い草原を目の前にした時とか、近所の公園のベンチに座ったら木々が揺れて擦れる音が聞こえた時とか、その類の光景と、その類の安寧。
そんな時間ばかり追い求めていられたらいいのにと、そんな瞬間に遭遇するたびに思い直すのに、その時間のことや、それがどんな場所だったのかを、あわてふためく日常の中で私はすぐに忘れてしまう。
次にここに来られるのはいつなんだろう、と思いながら、冷えた身体をのぼせるまで湯船に浸けていた。

寝て、起きて、まだしばらくは足の先が冷たかった。
けれども、台所に立って炊事をしていたら調子を取り戻した。
とろろを擦り、にんじんを刻んで味を付け、小松菜を浅漬けにして、それら全てをタッパーに入れて保存した。
次にこのタッパーを開けるのはいつなんだろう。
仕事が忙しいと、自分の胃や冷蔵庫の中身を顧みなくなり、食べものを腐らせてしまう。
できるならば、いつだって新鮮でいたいなと思う。
いつも、風みたいに、新鮮でいたい。

2022.10.11

いつもよりも1時間早く起きた。
コーヒーを淹れて、ゆっくりと飲み干してから出勤する余裕があった。
台所の椅子に座っていると、隣の部屋に接している壁の向こうから、隣の部屋の人の、レンジを操作する音、レンジがブーンと鳴る音が聞こえる。
音量も存在感もかすかだな、と思った。近くにあってもわかっていないことって、たくさんあると思う。

週末はとても楽しくて、日記を書くことはできなかった。
朝に歯を磨いている間、嫉妬している作家のインタビューをYouTubeで視聴しながら、どうして自分は書くことを継続できないんだろうと思って落ち込んでいたけれども、業務で深く穴を掘っていたらいつの間にかどうでもよくなっていた。
私は、暇から目を逸らせるなら、なんでもいいんだろうな。(ろうか?)

2022.10.06

昨日に引き続き、怒っていた。
あまりの怒りに具合が悪く、業務どころではない。
昼休暇にデスクにつっぷしたら思ったよりも深く眠れて、午後の気分は幾分かよくなった。
退勤時、信頼できる人たちと怒りの元凶について共有することができて、すこし安心した。
周りの全てを味方につけて、私は(対象)を許さない。
 
怒りで日記が書けなかったけれども、怒っていることを書いて日記とした。
たぶん明日は怒っていないと思います。

2022.10.05

怒っている。
激怒ってか、憤怒。湧いてくるような怒り。

業務上の必要があり、しばらく前から本意ではない行動をとる羽目になっていて、なるべくそれを気にしないようにつとめていたが、私の腹の底に不満はちりちりと積もっていたらしく、本日噴出した。
許せない。絶対に許さない。口に出すたびに、不快感は薄まり、決意は深まる。この状況と、この状況の元凶を絶対に許さない。

怒りすぎて、業務上必要のある文章以外は何も読めなかった。
ふつふつとしながらも、部屋は寒かったので、毛布をかぶって寝た。

2022.10.04

朝起きて、アラートがなって、今日は「他国のミサイルに上空を通過された日」になってしまった。
5年前にもミサイルに頭上を通過されたことがあって、そのときはカーテンを閉めて換気扇を止めて布団を頭まで被って、窓の外が光って目の前の建物が爆散する光景を想像して震えていた。けれども、いざ通過してしまえば誰も何も傷ついていなくて、そのことがとても不思議だった。
今朝はカーテンを閉めて、職場の人と連絡をとりあって、窓から離れた場所で出勤のための身支度をしていた。今回は、通過してくれればその後に日常があるとわかっていた。

出勤して、細々とした業務を粛々と片付けるうちに、ぐったりと疲れてしまった。
週末に観たミナペルホネンの展示や、ミナペルホネンの店舗で働く79歳の女性のインタビューなどの影響で、「暮らしあっての生活」の気持ちを大切にしたいという気分になっている。
気分はあるのに、実情は伴わず、悔しい。
せめてもの抵抗として、台所に立って、まな板を敷いて、ナイフを持って、柿を剥き、いちじくを剥き、たらふく食べた。

2022.10.03

職場の人がよく、飼っている猫の写真を見せてくれる。
彼女がスクロールするカメラロールには同じポーズで撮られた写真が全くなくて、猫が絶えず変化する動物なんだとわかった。
彼女は飼い猫のかわいさを伝えるために私を自宅に招いてくれたこともあり、自分もこれまで人並みに猫の写真などを見てきて、可愛いなと思ってはいたけれども、彼女の部屋で動き回っていた猫は思っていたよりも獣で、小さい虎じゃん、と思った。
彼女の猫の切り取られたとっておきのかわいい場面を見せてもらうたび、いいな、って思ってしまう。なついているかわいさがいつも傍にあるって、羨ましい。しかしそう思っているうちは猫なんて飼えないし、どんな生物ともうまく行かない気がする。(私はほんとうによく観葉植物を枯らしてしまう。)彼女が猫について語る時、そのエピソードの端々から伝わってくる愛情と気遣いを感じるたびに、自分が他の存在をそこまで尊重するようになることがあるのだろうか、と思う。

 

工藤玲音さんの歌集『水中で口笛』を読んだ。玲音さんは、幸福のことを自分が人に与えられるものだと捉えているところが、すごいなと思う。