終わった話

経過した事物

2022.01.25

子宮から出血していて、常に痛い。

もし今が縄文時代であれば私は既に子を4人くらい産んでもうじき死ぬくらいの歳だったはずで、そんな私が今月も子供を作らなかった罰?と思うくらいに腹が痛い。

デスクに座ってすらいられなくて、帰って家で寝ていた。

情けない体だという思いが半分と、わかってほしいという思いが半分。

私の文章には誇大な比喩が多いけれども、こればかりは誇張でなく、現代社会は女性に向いていないなと思う。

 

(損害を与えられる場面を抜きにしても、我慢や無理を強いられる場面が結構ある。

これも、各々の親しい関係性の中でケアされていくべき事項なんだろうか?

あるいは個人の努力で乗り越えるべき問題なのだろうか。

我々の肉体の半数が生物学的に女性である以上、あまりそうは思わないんだけどな。)

 


スズキナオさんのエッセイ『深夜高速バスに100回くらい乗ってわかったこと」を読んだ。

スズキさんの文章は、スズキさんの「人が好き」というお人柄がじゅわじゅわ滲みまくっている文章で、具合が悪い時でもスッと頭に入ってくる。

「誰も知らないマイ史跡めぐり」という、友人の思い出の場所を一緒に巡る話を読んで、恋人とはよくそういう極めて個人的なコミュニケーションをとるけれども、たしかに友人や知人とはあまりそういう話をしないな、と思った。

どんな関係性の人であっても、胆力とアイデアさえあれば、関係性を飛び越えてつながりを持つことはできるということなのかもしれない。

ちょうど昨日考えていたケアの距離感についても、本当はそうなんじゃないの、と思う。

ただ職場において1番優先度が高いのは各々の職務である、ということかもしれない。

組織にばかりかまけていて仕事ができなくては元も子もない。

 

自分のために休んだのにまた職場のことを考えていて、元も子もない。