終わった話

経過した事物

2022.02.17

いつもよりも早く目が覚めて、早く起きた時間の分ずっと目から涙が落ち続けていた。

動悸と頭痛を携えながら出勤する。ストレス反応が身体に辛い。

こんなときはなるべくおだやかにやり過ごしたいものだけれども、自分の精神が揺らぐほどの大変なことが起きたということは当然、現実の事象はさらに大変になっているということで、荒れた職場のざらつきが荒れた精神にしんどい。

午後2時を過ぎたあたりで、あんまりだ、と思ってトイレの個室でぐずぐずしてしまった。

可及的すみやかにデスクに戻り、麦茶を飲んで、体内に液体を留めるように努めた。

人体から個人的な要素が漏れてしまってはダメだから。ここは公共で社会だから。

 

退勤後、もうおしまいだ、と考え始めるときと同じ気分になってしまって恐怖していたが、親しい人が電話をしてくれて、切るときには少し笑えていた。

明日がどんな日になるのか、明日にならないとわからないのに、わかったような気になって先行して悲しんでいる。

2022.02.16

職場でとんでもないことが起きてしまい、みんなも私もパニックになった。

脳内を濁流のように押し寄せる感情の渦をその場で言語化せず、「はぁ〜〜」の一言で止められてよかった。

言ってもしょうがないから。感情を受け止めてもらえたら少しはすっきりするかもしれないけれども、ここはそういう場所でもないし。

 

フラフラと家に帰り、花とか、おやつとか、置物とか部屋中に散らばった気に入りのものから元気をかき集めてなんとか立つ。

風呂に入り、飯を食い、洗濯物を干す、すべての行為にいつもの1.5倍の時間がかかった。

思えばここしばらく、状況は悪化するばかりで、随分前から支えにしていた楽しみも白紙になり、もう全部嫌になってしまうな、と思う。

思うと、泣く。止めても出てくるし、思うことも止まらない。

なにも失ってはいないのだけれども、それでも絶望はするものらしいです。

2022.02.14

好きな男には渡せないのに、ここで振る舞ってどうすんだよ。

と心のなかで悪態をつきながら、ポットの横に置いておいた職場の先輩と共同で購入したチョコレートが減っていくのを眺めては不機嫌に過ごした。

悪態のバリエーションはポンポンと連想していったけれども、ここには書き残さないでおきます。

たぶん、これだけは来年以降も変わらずにそう思い出すだろうから。

 

休みの日のあふれる体験と体感にかまけてサボっていたけれども、やっぱり今と未来の自分のために日記は書き残しておこう、と思ってまとめて書いた。

到底終わらなかったので、明日に回すことにした。

仕事も生活も、毎日何かしらの期限や締切に追われていて、まるで夏休みの最終日を希釈したかのような日々だ。

といっても、あの頃のようなジャーニーもワンダフルもない、淡々とした時々刻々なんだけれども。

それでもそれなりに満足しているし、愛している。明日も一緒に過ごす。

2022.02.13

めっきりだるくて、掃除に手を付けたけどやりきれなくて、散らかった部屋で寝転んでいた。

 

]昼過ぎ、あまりにもお腹が空いている、と思い、少し遠くの中華屋で中華丼を食べた。

よく煮込まれた中華丼は、お粥に近似するなと思った。やわらかくて、栄養がたくさん

乗っていて、やさしい。

おどろくべきロースピードで平らげて、家に帰ってまた転がっていた。

 

夜、のそりと起き上がり、鍋をつくって、食べきれずに半分を残した。

今日の生活も今日の私も、こうして明日につながっていく。

質素な日だったけれども、明日の朝食はこうしていつもよりも豪華になるだろう。

2022.02.12

混み合う前の時間を狙って、ショッピングモールに行った。

あらかたの買い物を済ませて、スターバックスでコーヒーを飲みながら、とめどなくぞろぞろと車が入ってくる駐車場をぼんやりみつめて、こわいくらいの満足感に襲われてゾッとした。

車に燃料を補給できて、どうやってつくるのかわからないお洒落な味の飲み物を飲めて、いい感じのものを眺めて回れて、気が向きさえすればどれでも持って帰れて、美味しいものまで蓄えていけるなんて、なんて完全で完璧で完結な素晴らしい施設なんだろう。

金を貯めるために動いていた、あのくだらなかった時間が全て肯定される感覚。

ここに来さえすれば、働いててよかった、と思うもんな。そして、また通貨を得るために働く動機づけにもなる。

なんて完全で完璧で完結なんだろう。ほんとうにおそろしい、と理屈はわかっているが、身体は満足している。

ショッピングモールの通路には町の路上のように通りすがったり行き合ったりする意志が存在しなくて、ここで起こるすべての出来事には自分の意志しか作用していない。

脳が溶けそうな娯楽だな、と思った。自分と向き合っているようで、自分以外の情報で溺死している仮死状態のようだ。

 

思ったよりもへとへとになって帰って、昼食は近所のスーパーの弁当にして、夕食はショッピングモールで買っためずらしい味の鍋スープを使って鍋にした。

自分の「おいしい」の感覚に従って火入れして作るとパッケージの調理例の写真とは全く違うものができあがり、それでもやっぱりおいしくて、得意げになった。

2022.02.11

朝起きて、昨日食べ残したビックマックとポテトとナゲットをホットサンドメーカーで挟んで焼いて食べた。

カリッと熱くなったそれらの塊は食べられないほどのものでもなく、すこしだるくなった胃を抱えてしばらく窓の外を見ていた。

今日は久しぶりに曇りのようで、いつまで待っても部屋の中に陽が入ってこない。
やっておいたほうがいいので掃除をするけど、光がなければ埃も汚れも見えなくて、やっても甲斐がなくてつまらない。

シーツを洗ってコインランドリーで乾かして、帰ってきてからまたしばらくぼうっと天井を見ていた。

 

日差しが夕日に変わる頃、ようやく光があかるくあたたかくなって、散歩をして近所の中華屋で「焼きめし」と表記されたチャーハンを食べた。

店の片隅の本棚に雑然と詰められたある年代のある傾向の漫画群の背表紙を見て、これを読んでここで食べてその人なりに満足のいく昼下がりの時間を過ごした誰かの背中が思い浮かんで、ようやく元気が出た。

店を出たら夕日が傾いて、ちょうど私達の頭上に降り注ぐ角度になっていて、めいっぱい浴びながら家に帰った。

銭湯で人に囲まれて町の潮流を浴びて、家に帰って餃子を包んで焼いて食べて、ビールを飲んだ。

たぶん、ずっとこうしたかったんだな、と思った。

2022.02.10

寝て起きれども、めちゃくちゃだるい。

顔のごく近くに花瓶をあてて、匂いをかいですこし持ち直した。

用途外かもしれないけど、ごめんね。

なかなか同種と抱きしめあえないので、こうさせてもらうことですごく助かっている。

 

週末の夜には絶対にビックマックを食べて酒を飲んでやる、と思っていたのに、いざその塊を目の前にしたら脳と胃が怖気づいてしまって、半分も食べられずに気分が悪くなってしまった。

こういった、満を持したり意を決したりした選択が失敗するともう全部嫌になってしまうもので、しばらく床に転がって天井を見ていた。

いつも正解を選べるわけじゃない。励ましと不貞腐れを含んだ気持ちで、自分にそう言い聞かせた。

やっぱりいつも通りにやればいいのかも、と思って、起き上がってお湯をためて、白湯を飲んだらすこしは落ち着いて寝られた。

特別なことって、自分が思っているほど高頻度では演出できないものなのかもしれない。

2022.02.09

職場、最悪!体調、不良!

同調したくない場で同期してしまわないように踏ん張っていると、風邪っぽくなってしまうなと思う。

いろんな意味で、免疫が抵抗しているということなんだろうなと思う。

ささくれ立った気持ちになったので今日も八朔を剥いて、でもそんなに元気が出なくて、めそめそして寝た。

2022.02.08

打って変わって、あんまり優れなかった。

人は寝ると一度死に、別の自分に生まれ変わるので仕方がないと思う。

 

むさくさすどきはいっぺくってねる(イライラするときはたくさん食べて寝よう)と思ったけど、あいにく胃の調子もあまりよくなくて、でもとりあえず包丁は握ろうと思って、まとめ買いしていた玉ねぎをひたすら刻んで冷凍した。

小鍋に切った玉ねぎと冷凍庫のほうれん草と冷凍庫のかぼちゃを入れて、グツグツ煮立てて味噌を入れて舌を火傷しながら飲む。

それでもおさまらなくて、まとめ買いした八朔を剥きまくっているうちに眠くなって、寝た。

2022.02.07

少し前にりんごを煮るのにハマって、いまは弁当に煮たりんごを入れるのにハマっている。

食後の糖は血糖値を上昇させて、満腹感を与えてくれるらしい。

私が高校生のころ、毎日弁当を作ってくれていた母が教えてくれた。母の弁当にはきちんと名前のついている料理がキレイに収められていて、端にはいつも緑や黄色のキウイが入っていた。

あまりに立派に美味しくて、いつまでこれが食べられるんだろう、いつか食べられなくなる日は必ずくるのだと、食べながらたまに寂しくなった。

私の今日の弁当のおかずは、昨日余らせた餃子のタネを丸めて焼いたものだった。

母と同じ弁当は作れないけれども、同じことを自分や他人にすることはできるかもしれないと思いはじめている。

要素はクリアしているし、私はいま自分が営んでいる生活を愛している。

 

仕事で成果を出せて、気分がよかった。

あまりに偉かったと思ったのでケーキを買って帰った。

偉さを労うことが必要な気がした。

食べたら目も開けられないくらいに眠くなって、寝た。

2022.02.06

コンビニで大きなコーヒーを買って、今週リリースされていた大好きなミュージシャンの新譜を聞きながら散歩をした。

デカいコーヒーと散歩するのはかなりよくて、開放的な空間で脳の血管が随意に締まるのは気持ちいいし、暖かさや冷たさをおいしく持ち歩けるのはうれしい。

ただし、路上で飲食物を嗜むのはだらしない行為ではあるので、周りに迷惑はかけないようにしないといけない。いつも人気のない裏道ばかり歩くことになるが、それはそれで楽しい。

 

なんとなく入った本屋でそのとき聴いていた音楽にそっくりな本が売っていて、たまらず買ってしまった。

友人によると、本屋ってそういう場所らしい。何も考えずに入ったときに限って、いいと思うものがたくさん目につくのだとか。

 

生きている時間が長くなるにつれて、名前のついていない感情もちゃんと存在する感情なんだな、ということがわかってきた。

感情に限らずあらゆる事物について、名付けることや定義することで輪郭がくっきりするけれども、名付けられていないものや定義されていないものも、そこに存在するのであればたしかに存在するのだ。

嬉しい、悲しい、などのシンプルな言葉だけでは表現できない感情で脳がいっぱいになった時、私はいつも焦ってしまうが、たぶん、それを異常だと思う必要はない。

存在しているものを否定するから存在し得なく思うのであって、肯定することができれば存在していられるのだと思う。

あるいはそれらを名付ける行為が、詩や小説なのかもしれない。

私は文芸のことが好きだ。

2022.02.05

あの頃の吸引力を取り戻したい、ただその一心で掃除機を分解して掃除した。

細かいパーツをまるごと水に浸け置いて洗おうかと思ったが、念の為に取扱説明書を見たところ、一部水洗い不可のパーツがあってやれやれ危ないところだった。

汚れや埃を細々と拭いて綺麗にするのはかなりめんどくさい。全て取り除くのはほぼ不可能に思えるし。

それに対して、水洗いしたパーツはいとも簡単にぴかぴかになって、改めて水のすごさを思う。

埃っぽくなってしまったので自分もシャワーを浴びて、気持ちよかった。

人体が丸洗いできる仕様でよかった。一部水洗い不可とかだったら、たぶん、私は耐用年数いっぱい使い切れなかったと思う。

 

なんとなくいつも手が空いた日曜日の朝に掃除をしていたけれども、土曜の朝のうちに部屋を綺麗にしてしまえば休日中ずっと気分がいいのだということに気が付いて、そうすることにした。

やっぱり、なるべくトクしたいからね。時空間に対するトクを。

これは、同じ空間に同じ時間存在するならば、できる限り気分がいいほうが得でしょう、ということです。

床や水回りの掃除をしたあとは、家の中のカオスをすこしづつ解消している。

これは、2022年の1月8日あたりからスタートした、2021年の大掃除の一環です。

心身が丈夫ではなくなってしまったので、普通の人がこなしているであろう負荷をなるべくうすめて日々をやっている。

それでもいつかはなんとかなるし。一気にやろうとしない、をやると、やりきれない気持ちになりにくくていいです。

 

部屋が整ってしまうと今度はかえって殺風景に見えるものらしく、花を買いたくなってしまって迷った。

ある程度の散らかりは生活感を演出して、ここには1人しかいないのだという体感を紛らわせる効果があるっぽい。

しかし、ここで寂しさを花に仮託してしまうのはなんだか不健全な行為な気がするし、それに私は大抵調子のいい時期に花を買うから、花が萎れるペースとともに体調を崩していって余計に落ち込んでしまったりもするし……。

などと逡巡していたけれども、結局はいて欲しさに抗えなくて、いっそ小さなブーケを買った。

テーブルの隅に置かれた花は人間の0.4倍くらいの存在感を放っていて、それで十二分にありがたい。動かない愛ですね花は。いつもすいませんね。

 

あらかた家を整えて気が済んだので、あとの時間は自由時間にした。

よさめのお昼を食べて、行ってみたかったスーパーに行って、結局いつものスーパーで買い出しをして帰った。

自分の休日の合間にツイッターのタイムラインをチラチラみると、おいしそうなものや綺麗なものの写真が並んでいて、みんなもそれぞれの休日をしていて、かわいい。

自分もやっていいんだし、ますますやるぞ!という気分になる

明日は何をしようかな。何もしないのもいいな。

2022.02.04

つとめて穏やかに過ごした。

退勤後、昨日と同じ時間に昨日と同じようなイラつきイベントが発生したが、昨日の反省を活かして即座に感情のブレーカーを落とすことができた。

反省、生かし続けていてよかった。反省というものは通常、エサなどを与えない限り発現後8時間程度で消失するといわれていますからね。(注:いわれていません)

 

年の近い先輩に、こんなにもなんにもできていないのにも関わらずもうすぐ入社から1年経つのが不安です、と相談し、逆に1年経っちゃえば不思議と余裕ができますよと励ましてもらえた。まじすか。

頑張ります…と言うと、共に頑張りましょう、と言われて驚いた。この場にこんな社会性のあること言う人いたんだ。

 

帰ってきて、長芋と延々すりおろして、ふわふわ焼きをつくってビールを飲んだ。

不思議と、いつもほど酔わない。もしかして、明日が仕事ではないことと相関がありますか?

2022.02.03

毎朝、目覚めたらまず最初にお湯を沸かす。

意識の高低どうこうでなく、単純に部屋が寒いので。火が見たくなって。

いつも、あらかた支度し終わったあとに沸かし直してコーヒーを淹れるのだけど、今日は沸かし直すのを忘れてぬるいお湯でコーヒーを淹れてしまった。

おそるおそる飲んでみると、後味がぽっかり抜けたコーヒーになっていて、手を抜いた分がそのまま抜け落ちたようでなんだかおもしろかった。

うっかり味のコーヒーだ。さっぱりしてて、そんなに悪くもない。

 

定時後、いつもうっすらムカついている職場の教育係の先輩にとうとうキレてしまって慌てた。

そそくさと退勤して、駐車場の車中で我慢できない怒りと我慢できなかったことへの落ち込みが同時に発生して混乱した。

私は激情が一旦落ち着くと今度は、相手にも悪いところがないことはないだろうけど、我慢できない私が全然だめ、今後社会に適合することはないでしょう……というように落ち込んでしまいがち。

そしてその反動でまた、いやいややっぱり相手が悪いだろ腹立つイラつくなめてんのか?と激情して、この反復でぐったりしてしまいがち。

気を取り直すぞ、と気を取り直し、私の怒りは私のものだし、相手も私もどっちもどっちよ……などと脳に直接語りかけて気を取り直した。

この状態からの即日の回復は珍しく、学会発表レベルです。たぶん賞取れると思う。私しかやってない学問なのでここにメモしておきます。

 

家の台所には窓がついていて、私はよく単身者仕草として台所の作業スペース(いま調べたらワークトップというらしいです)をテーブル代わりにして飯を食っていて、いつも座って向かっている台所の窓の方角が恵方で、少し嬉しく思った。

今年は毎日恵方を向いて飯を食うことになるらしい。わびしいけど、いいことありそうじゃん。

いつも通りに恵方を向いて恵方巻を食べて、恵方巻きを食べた後の口の中の後味は法事の後の会食の後の口の中の後味に似ているな、と思った。