終わった話

経過した事物

2022.02.05

あの頃の吸引力を取り戻したい、ただその一心で掃除機を分解して掃除した。

細かいパーツをまるごと水に浸け置いて洗おうかと思ったが、念の為に取扱説明書を見たところ、一部水洗い不可のパーツがあってやれやれ危ないところだった。

汚れや埃を細々と拭いて綺麗にするのはかなりめんどくさい。全て取り除くのはほぼ不可能に思えるし。

それに対して、水洗いしたパーツはいとも簡単にぴかぴかになって、改めて水のすごさを思う。

埃っぽくなってしまったので自分もシャワーを浴びて、気持ちよかった。

人体が丸洗いできる仕様でよかった。一部水洗い不可とかだったら、たぶん、私は耐用年数いっぱい使い切れなかったと思う。

 

なんとなくいつも手が空いた日曜日の朝に掃除をしていたけれども、土曜の朝のうちに部屋を綺麗にしてしまえば休日中ずっと気分がいいのだということに気が付いて、そうすることにした。

やっぱり、なるべくトクしたいからね。時空間に対するトクを。

これは、同じ空間に同じ時間存在するならば、できる限り気分がいいほうが得でしょう、ということです。

床や水回りの掃除をしたあとは、家の中のカオスをすこしづつ解消している。

これは、2022年の1月8日あたりからスタートした、2021年の大掃除の一環です。

心身が丈夫ではなくなってしまったので、普通の人がこなしているであろう負荷をなるべくうすめて日々をやっている。

それでもいつかはなんとかなるし。一気にやろうとしない、をやると、やりきれない気持ちになりにくくていいです。

 

部屋が整ってしまうと今度はかえって殺風景に見えるものらしく、花を買いたくなってしまって迷った。

ある程度の散らかりは生活感を演出して、ここには1人しかいないのだという体感を紛らわせる効果があるっぽい。

しかし、ここで寂しさを花に仮託してしまうのはなんだか不健全な行為な気がするし、それに私は大抵調子のいい時期に花を買うから、花が萎れるペースとともに体調を崩していって余計に落ち込んでしまったりもするし……。

などと逡巡していたけれども、結局はいて欲しさに抗えなくて、いっそ小さなブーケを買った。

テーブルの隅に置かれた花は人間の0.4倍くらいの存在感を放っていて、それで十二分にありがたい。動かない愛ですね花は。いつもすいませんね。

 

あらかた家を整えて気が済んだので、あとの時間は自由時間にした。

よさめのお昼を食べて、行ってみたかったスーパーに行って、結局いつものスーパーで買い出しをして帰った。

自分の休日の合間にツイッターのタイムラインをチラチラみると、おいしそうなものや綺麗なものの写真が並んでいて、みんなもそれぞれの休日をしていて、かわいい。

自分もやっていいんだし、ますますやるぞ!という気分になる

明日は何をしようかな。何もしないのもいいな。