終わった話

経過した事物

2022.02.06

コンビニで大きなコーヒーを買って、今週リリースされていた大好きなミュージシャンの新譜を聞きながら散歩をした。

デカいコーヒーと散歩するのはかなりよくて、開放的な空間で脳の血管が随意に締まるのは気持ちいいし、暖かさや冷たさをおいしく持ち歩けるのはうれしい。

ただし、路上で飲食物を嗜むのはだらしない行為ではあるので、周りに迷惑はかけないようにしないといけない。いつも人気のない裏道ばかり歩くことになるが、それはそれで楽しい。

 

なんとなく入った本屋でそのとき聴いていた音楽にそっくりな本が売っていて、たまらず買ってしまった。

友人によると、本屋ってそういう場所らしい。何も考えずに入ったときに限って、いいと思うものがたくさん目につくのだとか。

 

生きている時間が長くなるにつれて、名前のついていない感情もちゃんと存在する感情なんだな、ということがわかってきた。

感情に限らずあらゆる事物について、名付けることや定義することで輪郭がくっきりするけれども、名付けられていないものや定義されていないものも、そこに存在するのであればたしかに存在するのだ。

嬉しい、悲しい、などのシンプルな言葉だけでは表現できない感情で脳がいっぱいになった時、私はいつも焦ってしまうが、たぶん、それを異常だと思う必要はない。

存在しているものを否定するから存在し得なく思うのであって、肯定することができれば存在していられるのだと思う。

あるいはそれらを名付ける行為が、詩や小説なのかもしれない。

私は文芸のことが好きだ。