終わった話

経過した事物

2021.01.12

日記を書く習慣を喪いつつある。

さみしいことだがよろこばしくもある。

いや、よろこばしいことだがさみしくもある。

できることなら、書き続けていたい。


正月明け、久しぶりの労働は業務そのものというよりも仕事のノリやテンポに身体を慣らすのに体力を消耗した。

なんとなく、物理で習った仕事の概念とはずいぶんと違うものをやっているような気がする。


帰宅してヘロヘロになってしまってまたしても床でYouTubeを見るだけの生命体になっていたが、キムチ炒飯を作って食べたいという気概のみで立ち上がり、それを成した。

 

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晩ごはんに炒飯を食べられるのは一人暮らしの特権かもしれない、と思う。

実家で暮らしていたころは炒飯といえば休みの日のお昼の食べ物だった。

晩ごはんに炒飯のみというのはすこし寂しく、それに合わせたおかずが何点かつくような印象。

大人数でつつくアラカルトも楽しいが、一品二品の料理と任意の炭酸飲料で完結してしまう食事のことも気に入っている。

その日の胃の気分をダイレクトに満足させられるようで楽しい。


お腹いっぱい食べて大きな画面でYouTubeを見て好きな人と連絡をとっているうちに完全に元気になり、ありがたいなと思う。

あまりに元気だと日記を書くのが億劫になってしまうが、多分それでも書いた方がいい。

きっとそのほうが、いつぞやの自分やいつかの自分には感謝されるだろうと思う。