終わった話

経過した事物

2022.09.24

 アルコールによる血管の緊張がもたらす頭痛を、昨夜から引き継いで起床した。こんな時は、「アルコールは人体の表皮から揮発するんだよ」と教えてくれた大学の先輩の言葉を信じて、朝風呂に浸かることにしている。ホテルの最上階に設置された大浴場には、おそらく私と同じような状態にある身体がたくさん浸かっていて、新鮮な光の中に夜の残滓の気怠げな空気が滞っていた。
 久しぶりの盛岡での朝ごはんは、大通り商店街のミッシェルで、ハムとトマトとマヨネーズのサンドイッチにチーズがたっぷり載っているどこよりも美味しいクロックムッシュを食べると決めていた。のにもかかわらず、洒落っぽい見た目に誘われて、キャロットラペのサンドイッチやプレッツェルクロワッサンなどを購入してしまい、いつまで格好つけて飯を食うんだろうと己を恥じ、ちゃんと落ち込んだ。イートインの無料サービスのカルピスを一杯飲んで考えて、クロックムッシュも追加で購入して食べたことで心身ともに事なきを得ることができた。食後の一杯は、格好つけずにコーヒーではなくカルピスにした。
 書店で三田三郎さんの歌集『鬼と踊る』を購入した。この前、どうしようもなく消沈していたとき、友人の薦めで久しぶりにゆらゆら帝国を聞いて、挑発的な音に促されて怒りをじわりと発露させることができた。そして、そういえば私はもっと怒りとかやるせなさとかを素直に言葉にしてもいいのかもしれない、と思った。盛岡に住んでいた頃、どうしようもなく仲違いしてしまった人がいて、結局、岩手に住んでいる間には仲直りすることができなかった。その人と仲違いしてから私は、意にそぐわないときに人は怒ることを知ったし、怒りを表明することが必ずしも排他的な振る舞いではないことを知った。それと、それまでの私はどんな相手にも対等であろうとすることが優しさだと思っていたし、互いに対等でありあおうとすることが愛なのだと思っていたけれども、それは自分で勝手に「対等」と名付けたリングに誰彼構わず引きずり出してタイトルマッチをしていただけで、いわばそれは試合ではなく暴力だった、ということがわかった。いや、それもすぐにわかったわけではなく、それから長い長い時間をかけて、わからされることとなった。
 昨日の道程をさかさまに、国道4号線を北上して、途中の道の駅いしがみで休憩して、二戸市シビックセンターの福田茂雄デザイン館で岩手ADCの展示を見て、十和田に帰ってきた。寝る前に、南部町のファームビレッジなんぶで買った梨を剥いて食べた。まだまだらな果面から想定していたよりも果肉は甘くて、特に一部分からはとても素晴らしい芳香がして、きっとこの上にくっついていた表皮は素晴らしく黄金色だったんだろうな、と思った。