終わった話

経過した事物

2022.09.25

 八戸ブックフェスに行ってきた。同時に開催されていたホコテンがとても賑わっていて、いかにもフェス、の様相だった。そういえば、市(いち)とか街って、こんな感じだったんだった。盛岡に住んでいたときによく参加したよ市の雰囲気がこんな感じだった。
 フェス会場では、店主も客もその場にいる人たちはみんながちょっと変で、そして誰しもがすごく魅力的に見えた。それぞれがちゃんと考えて行動しているから、そう見えるんだと思う。考え方の違いがちゃんとふるまいに現れている。それはとてもいいことだと思った。
 盛岡で仲違いしてそれきりだった人も出店していて、散々迷ったあげくに挨拶をしに行って、うわー、とびっくりされた。来てもらえてよかったと言われ、来てよかったと思った。近況についてお聞きして、そうだったのか、と思った。近況について話して、それでいいんだ、と言われて、いいのか、と思った。東北の人は「いいんだ」を「い↓い↑んだ」と発音する。その「い↓い↑んだ」の音は、ただの「い↑い↑んだ」のそのままの意味に加えて、大丈夫、の意味合いを含んでいて、私はその田舎特有の連帯を表すやさしげな発音がとても好きだ。それで、仲直りをしたかったんです、と伝えることができた。また会おうねと言われて、また会っていいのか、と思った。人生が少し軽くなって、そのぶん気持ちと身体がふわふわした。
 歩行者天国の路上ではあちこちでさまざまなパフォーマンスが行われていて、堂々と立って堂々とした音を出す人、小さな身体でブレイクダンスをする人、渋い声で歌い上げる人、それに身体を揺らす人、規模は違えど、みんなめいめいに表現して、めいめいにそれを受け取っていた。それでいいんじゃん、と思った 。広くて明るく、多幸感が充満している路上で、私は私のままでいいし、私の人生をやるのだ、とわかった。誰かに受け取ってもらいやすいような形にわざわざ丁寧に加工する必要はなく、そのままでいいんだった。私は私の人生だけを持って、また誰かや彼かに会いに行っていいのだった。浮いた足取りで、八食センターで寿司を食べて帰った。