終わった話

経過した事物

2021.08.23

目覚めがよくてびっくりした。

明朝の目覚めもよくしたくなったので、仕事に行く前に散歩をした。

散歩を生きがいとしていた時期があった。筋肉のトレーニングとしていた時期もあったし、快楽としていた時期もあった。不眠をやりすごすための方法としていた時期もあった。

それらは全てほんの数ヶ月前のことで、それから私は、散歩をしなくてはならない、ということだけをずっと憶えていて、なぜそう考えるに至ったのかについてはすっかり忘れていた。

私は、何につけても出来事と行為ばかり覚えていて、意味付けのことはすぐに忘れてしまう。

それは賢明な愚かさなんだと思う。(それはかなしいことだと思う。)

 

出勤後、忙しさに押されてつらつらと時間は流れていって、勤務時間の過半を過ぎた頃に、社内の別部署からの電話を受けて、おつかれさまです、(役職名)の△△さんですよね、少々お待ちください、と淀みなく口上する自分を奇妙に思った。

ほんの数ヶ月前までは存在も知らなかった場所で、存在も知らなかった人達と結びつきあって、組織の一部になったかのような働きをしている。

この恒常性はなんなんだ。(よく考えてみたら、頭がおかしくなりそうな状況じゃないか。)

 

社用車の車内で突然、極めて個人的なかつての身の上の出来事について、あなたの判断はどっちがよかったのかわからないね、と投げかけられて、本当にわからなくて口をつぐんでしまった。

何か返事をしなくては、と思ったのだけれども、わからないねと投げかけた当人は返事の有無に特に気を留めていないふうにわからながっていたので、そのまましばらく黙って揺られることにした。

私は、公の場で求められるコミュニケーションとはつまり快い解答(excellent!!)を出し続けるリズムゲームのようなものだと考えていたけれども、それはすこし違うのかもしれない。

私は、わからながっていてもいいのか?もしかして、それは許される行為なのか?


それはそうと、観葉植物に手を当てるとさみしくなくなることを思い出したので、また部屋に花を飾るようになった。思った通りにさみしくなくなってよかった。

なんてこんなの、さみしいやつの言うことに他ならなくないか?

なんて思うけれども、他にもいろいろ思うんだけれども、よく眠れそうなのでもう寝ます。

また明日。よければまた聞いてください。