終わった話

経過した事物

2021.03.05

今日で職場を去るアメリカ出身の同僚が私のために手製のmixCDを作ってきてくれた。
私は彼のことが大好きだったのに、彼がいないときに限ってひそひそとなされる会話に対して「クソつまんねー話やめろよ」と言うことがついぞ一度もできなかった。
彼に向かって手を振る列の1番後ろに立って私以外の全員の背中を眺めながら、こんな嘘がこの世に必要あるかよ、と思ってしまう。でも必要なんだよな。わかる。私も社会に生きているから。こんなxxxxはxxxxxxxxx。

 

日が暮れかける頃に散歩に出て、カーテンを閉め忘れたまま白熱灯を点けてしまっているお宅の本棚やTVを悪いと思いつつチラチラと見ては願わくばふたたび遊びに行きたい部屋が脳裏にいくつも思い浮かんだ。
その願いを叶えられそうな場所もあれば叶えられそうにない場所もあり、どちらもあるということはどちらも願わなくていいことだと思う。
だって、いつだってあこがれているくらいがちょうどいいんだ。旧式の電球と同じで、どんなにやわらげに見えても実際に触れてしまうとわりと熱いし。

 

どうしてもウィスキーが飲みたくて、パンとサラミとチーズを切って適当にミネストローネをつくって村上春樹みたいな晩飯を台所の天板の上で食べた。
(勝手に気取っているだけで、村上春樹さんの書かれる小説にはこのような料理は(おそらく)登場しないし、こういう自意識が最も恥ずかしい。)
久しぶりに寂しい気持ちになった。誰でもいいからxxxxxxx。

 

目が覚めたらまた散歩に行きたい。朝焼けの光はきっとどんな法則をもひっくり返すくらいには綺麗だ。そうだよな?頼むよ。