終わった話

経過した事物

2021.03.06

休日なので長散歩をした。

日差しも気温もすっかり溶けて、春のコートで出歩ける。
先日までは何もなかった路傍の草だまりから何らかの芽が出てきていて、かわいい。
毎日外を歩いていたら、春は土の薫りが立ちあがった後に草の薫りが立つということがわかった。
考えてみれば当たり前だ。土が起きるまでは草も起きない。
田畑には耕起を待つ土壌の上に堆肥がまかれていて、なおいっそう土くさい。
コンクリートの川底をせせらぐ水の反射がなんだか鮭の背中の皮の模様のように見えた。
我々が遡上させている水分は用水に名を変えて諸々の用途に利用される。
そこに水分子の意識はあるのか?あるはずもなく、ならせめて意識ある我々が大切にしてあげたいな、とか烏滸がましく思う。
全ての生物が生命活動を開始する季節だ。細胞ごと意識が揺り起こされている。

 

乗り心地がまるでゴーカートのようだと評しているボロボロのマイカーの車検の見積もり金額が想定の1.3倍ほどになり、すっかり気が動転してしまった。
ソワソワして何故かわざわざ代車でハードオフに不用品を売りに行こうとして、玄関の金具の出っ張りに春のコートを引っ掛けて破いて落ち込み、すべて諦めてビールを飲んだ。
さざなみのように酔いが醒めるので立て続けに飲み続けて、気がついたら1015mlほど飲んでいた。ポカリでもこんなに摂らないよ水分。
寄せては返す意識の中でこの世の真理を確信したが、確実に錯覚だ。音楽を一曲聴いたらすべて忘れた。きっと一枚の布のような真理なんてなくて、この世にはパーツと断片と切れ端だけがある。