終わった話

経過した事物

2021.03.02

ホカホカの状態で目覚めた。
窓の外は薄曇りで、空気が湿っている。
我が家で最も薄い窓辺からは暖かい空気と共に土の匂いが侵入してきていた。
どうにもいきものくさい。そうだった、春という季節は気配と予感で満ちているんだった。
夕方までに本格的に雨が降って散歩が出来なくなることを懸念して、眉毛を描くのもそこそこに出勤前に散歩をした。
我が家を侵していた春の気配は、雪の覆いが外れて苔むす田んぼから匂い立っていた。嫌気性発酵と好気性発酵。我々の目には見えない大きさの何かもまた、蠢いているということだ。

 

散歩の成果もあってすがすがしく業務をこなしながら、ずっと昨日の怒りの理由について考えていた。
私たちの感情はそもそも言葉の枠に収まるような定型のものではないが、言葉を使ってその形をなぞってあげる事でいくらか昇華させてあげられるような気がする。
退勤後に寄ったスーパーで買い物客の間をすり抜けているときに、自分の真意に最も近い言葉が「一生一緒に居たかったに決まってんだろ、ボケ」だと思い至って、まだ燻っていた怒りがスッと消えた。
そうか、それは残念だったね。いつかうまくいくといいね。

 

日が暮れるにつれ、気圧の低下に伴ってなんだか世を憂う気分になりそうだったので、家に帰ってからぬるめのお湯に長めに浸かった。
深酒した時のために買い置いているポカリスウェットを風呂上がりに飲んだら、まるで銭湯に来たかのような気分になってびっくりした。極楽極楽、といった心地で、常世の何を憂いていたのかはさっぱり忘れた。
自宅の風呂にこんな効能があるなんてこれまで気が付かなかった。湯船は未知の可能性で満杯になっている可能性があるな。未知の可能性で満ち満ちているということ。

寝る前に最果タヒさんの詩集『天国と、とてつもない暇』を読んだ。愛の解釈、完全一致。(飽くまで錯覚)。頭の中で爆音で音楽が鳴り出しつちまう。だからなんだってどうということもないし、いつ電話したって居やしないよ。