終わった話

経過した事物

2021.02.16

地面が揺れていて、風が強く吹いていて、カーテンを開けると地表に積もった雪が見たことのないような分布を展開していて、この世の終わりってこんな感じなのかな、と思った。
スケラッコさんの短編集『大きい犬』の中の『梅・桃・桜』というお話に滅亡していく地球の様子が背後でふわりと描写されていて、それを思い出した。
どんなにとんでもないことが起きても我々の意識は断続せずに連続していて、その度に世界と自分(達)が別個に独立した存在であることを思い知らされる。

 

なんかもうどうでもいいわ、と思った途端に頭痛と耳鳴りに襲われたけれども、それすら無視して働いていたらなんとなくいい感じになった。
あとから友人に聞いたら、低気圧の影響があったらしい。偶然家にカレーを作り置いていたから、そのことを考えて乗り切ることができた。カレーがなかったら頑張れなかっただろうな。ありがとうカレー、ありがとう昨日の自分。

 

価値基準がゆらがされる出来事があり、即座に友人に連絡して気持ちを落ち着かせてもらった。
私が、大切なのは知性と倫理だと思う、と結論づけると、それはそうかもしれないけどあなたは本能に知性が追いついていないよね、と言われてアハハとなった。


世界と自分(達)は断絶していて、自分と他者も断絶していて、つながるために気持ちがあるらしいけれども、はたらきが粘着質すぎやしないか?と思う。