終わった話

経過した事物

2021.02.14

あんなに地面が揺れたのに、一夜明けたらもうすっかり平常運転に戻っていた。
灯油が切れていたのでしぶしぶガソリンスタンドに行ったが、別段に混んでるわけではない。
スーパーでも備蓄品の買い占めなどは起こっておらず、みんなめいめいに団子とか寿司とかを買っていて、不気味なような安心するような不思議な気持ちで自分もキャベツともやしとお茶を買った。
現在進行形の禍は我々の災いへの精神的堅牢さを底上げしているのかもしれないと思った。
災害が起きたときあるいは起きると予想されたとき、人はそれを避けるための行為を通して精神的安定を得ようとするが、禍はゆっくり進行する災害なので判断できる時間が長く、それゆえに備えはそこそこに切り上げて日常をやるしかないという態度が板についてきているような気がする。
災害が起きるとどうしてもその瞬間に集中してしまうけど、その後にも日々は続くということをじっくりわからされてきたような。
うまくまとめられないけど、私たちはだいぶ鍛えられたのかもしれない、と思った、という話。

 

昼下がり、自身の人間関係が確変状態にある友人から連絡があり、関係に関する猥雑な話をして大変盛り上がった。
夜にする猥談は切実すぎて気分が落ち込むが、昼にする猥談は純粋なパワーのみを与えてくれる。ような気がする。なにいってんだろねごめん。
到底満たされないような頭の中のどうしようもない衝動も口に出すだけでかなり昇華されるので、話し相手がいることはありがたい。
冗談みたいな話ばかりしたが、来週も1週間頑張ろうね、という言葉だけ互いにかなりマジだった。どうせ真面目にやるんだから、意気込みだけは不真面目でいたいよね。

 

日がな1日中DTMの動画を見続けており、音楽の作られ方や構造についての知識を得たことでいままで聴いてきた音楽についても解像度が上がってしまい、情報過多でクラクラしている。

音楽を聴くのがちょっとしんどい。でも聴かずにはいられない。

あまりにもいいものを感覚器で受容したとき、よさで脳がぶっ壊れそうになったあとにどこか虚しくなってしまうことを苦しいなぁと思っている。