終わった話

経過した事物

2021.02.13

肝臓あたりに昨夜飲んだ酒の存在を感じる午前中、SNSで自分と同じような酒の飲み方をしている人を見つけて投稿を遡るなどしていた。
破滅を内包しつつ生きている人を見つけると嬉しくなってしまう。いわゆる深淵 to 深淵。

 

私の住む町に大学の時の恩師とそのパートナーが遊びに来てくれて、ランチをご一緒した。
近況を聞かれて、職場で窓の外を見て考え事したり叫ぶのを我慢したり先輩の真似してサボったり、早めに家に帰って本読んだり日記書いたり人の話を聞いたりしてますね、と言うと、書生みたいな生活だね、といわれて、そんな、嬉し恥ずかしい。
恩師は地方創生とか起業とかをキーワードにしたフィールドワークの講座で講師をしてくださっていて、私はその講座の第1期に参加して、テーマごとに分けられた5つのチームのうちの1つでリーダーに指名されていた。
あれから5年ほどが経ち、当時リーダーを務めた他の4名のメンバーはめいめいに大きな企業に就職していたりスタートアップ向けのファンドで働いていたりで、活躍がきらきらと目覚ましい。
自分がひとりだけフラフラしてんのヤバいっすね、と言って、おもしろいからいいよ、と言ってもらう。おもしろがってもらえるうちはこうやって飯を食わせてもらえる。それがわかってから私はおもしろだけで人生をやっていっているが、たまにそれが恥ずかしくなってちょっと落ち込む。たまに人と話しておもしろがってもらえるとまた開き直る。ひたすらそれを繰り返している。いいのかこれで。これでいいのか?
そんな話をして、飯を食えるか食えないか、で生活を判断していることについて褒められた。いやむしろ、食って寝ていれば死なない、ということ以外はなにもわからないんですよ。
誰もがそうだとは思わないが、自分も含め、まだ自我を持たない人が自分の存在を実感するために実感の持てない社会課題とかを理解しようとしたり解決しようとしたりするのにはちょっと辟易してしまった。もちろん課題はたくさんありクリアしていくべきだが、実感の伴わない干渉は暴力であり、実感を伴うためには体験あるいは勉強が必要で、私はその過程に時間かがかる。過程だけで一生を終えるかもしれない。それならそれでもいいと思う。半端をやるよりはよっぽど納得できる。生命維持と納得以外に人間にできることがあるとは思えない。
パートナーさんにその感性を抑圧せずにいた方が絶対おもしろいよと言われて、嬉しくなって、心の底から花火になりたいと思った。綺麗かつ炸裂、なんて本望ですね。

 

寝不足がたたっているので早めに寝たが、30分足らずで激しい揺れに起こされた。
気がついたらうつ伏せになって頭まで毛布をかぶってアラートを聴いていた。繰り返されると肉体も学習するんだな。自動防御システム、頼もしいな。
iPhoneの充電が止まっているのを見て停電に気付き、懐中電灯で部屋を照らしてブレーカーを落とす。ガスの元栓を閉めようとコンロを照らした瞬間、調味料棚のスパイス類が落下して散乱しているのを見つけて静かにショックを受けた。人間の脳は破壊に弱いらしい。
ダボダボと水を貯める音が隣の部屋の人を怯えさせないかが気がかりで、Twitterの通知を更新しながらうろうろと栓を開けたり閉めたりしていた。世界よ見よこれがパニックだ。
どうにか貴重品をリュックに詰め終え、貴重な充電を無駄に消費しないように情報と連絡を絶ち切って寝ようとしたが、不安がたたって寝られない。
遠くに住む人に電話をかけて20分ほど雑談をしてもらい、そのうちに電気が復旧して蛍光灯の光を浴びてようやく落ち着いた。

どこのどなたかわかりませんが、迅速な復旧ありがとうございます。生命維持と安心が他者の存在とインフラ設備に支えられている生活は本当に脆弱だ。

こういうときだけ、電波の届かない開けた土地で井戸掘って畑やって暮らそうかなとか思う。通電したのでそんなことそのうち忘れちゃうんだろうけど。我々は根源的に社会的動物ですので。

 

お湯を沸かしてお茶を飲んでケーキを食べて、すこしだけ本を読んで寝た。

どんな状況であれ、人間は自分の揺れさえ止まれば寝られるが、それが難しいんですよね。我々は根源的にゆらいでいるので。