終わった話

経過した事物

2021.02.02

相変わらず夜中に一度起きるのだが、ほとんどねぼけているようであまり記憶がない。

毎朝、あれは夢だったのかなと思うけれども、トイレのあかりがつきっぱなしになっているので現だったとわかる。

それだけ眠いのに何故目を覚ましてしまうんだろう。変な癖がついてしまった。


いま住んでいる街は図書館の施策が手厚く、貸し出しのシステムも蔵書のラインナップもとてもいい。

大規模な合併をした自治体なので市内に何箇所か支所があり、どこの図書館で借りたものをどこの図書館に返してもいいシステムになっている。

今日はすこし遠くの地区に行く用事があったので、ついでにその地区の図書館に寄った。

私の住んでいる地区の図書館よりも規模は小さいが、絵本や詩歌やコミックのコーナーが充実している。小説もビジネス本も新刊が多い。

コミックの棚では中高生が立ち読みをしていて、さながらすこやかなブックオフのようだ。ここは合法だから座って読んだっていいんだよ。

私は詩歌の棚を掘らせてもらい、国語や社会の教科書に載っているような詩集ばかりでなく新進気鋭の作家の作品をたくさん借りることができた。

詩ばかり読みたがるような人間まで大切にしてくれる自治体だと思うと、信頼がおける。できることならばずっとここで市民税を払っていたい。


帰りがけ、信頼のおけると思っているスーパーに寄って帰ると、まだ早い時間なのにもかかわらず恵方巻きが1本も残さず売り切られていて流石だった。安心と信頼!

柊とまぐろのたたきとカキフライを買って帰り、夕飯を食べた後に詩を読んで春が立つのを祈った。

なかなか読みきれない詩を読んでいるときに、かつて義務教育で「音読」という読み方を習ったことを思い出した。

インターネットのいつかどこかで読んだ記述によると、もっと古い時代には文章の読み方は黙読ではなく音読が一般的だった時期もあるらしい。

実際に声に出して読んでみると、黙って読むよりも進むスピードが遅く、文と文のつながりに意識的になる。

ただ一度読んだだけでは全体を把握しきれないので、繰り返し読む。また、自分の発する声の抑揚が思ったよりも不確かなこともわかる。

これは、キーボードで文字を打つことと紙とペンで文字を書くことの違いに似ているな、と思った。デジタルとアナログ。単純な出力と、手で探ってたしかめながら進めていくような作業。

音読、けっこういいかもしれない。続けてみたらもしかしたら、音楽と詞の関係性もわかるかもしれない。借りてきた分の詩集は全部一度声に出してみようと思う。

部屋に篭ってそんなことをしていられるくらいには、まだ夜は長い。

 

f:id:mtdch:20210203065742j:image