終わった話

経過した事物

2021.01.31

お昼近くになるまで友人の家にお邪魔していた。

人の気配を感じて起きて、人が作ってくれた味噌汁を飲んで、一緒に日曜朝の子供向け番組を見て、かなり癒された。ありがたい。


友人の家にはそういう喫茶?と思うくらいに漫画が買い揃えられていて、お邪魔するたびに一気読みしてしまう。

いまはヤマシタトモコさんの『さんかく窓の外は夜』を読み進めている。

テーマゆえに他者への介入の描写が主なのでちょっとキツイけど、おもしろい。

ヤマシタトモコさんの漫画の登場人物は、予備動作なしで動くところが好きだ。どんな状況も関係性も、いきなりぴょーんと飛び越えてしまうようなところがある。

あこがれちゃうな。私だって超越したいよ。


家を出ると思っていたよりもねむたく、自宅に帰る道すがらの中華屋で休憩がてら昼ごはんを食べた。

メニューに天津飯もオムライスもカレーも生姜焼きもある。立派な町中華の店だ。

天津飯リベンジときめこみたいところだったが、せっかくなので増田薫さんに倣ってオムライスを頼む。

ちょうどお昼時、注文が立て込む店内で相席になったおじさんの豪快な食いっぷりを横目に見ながら30分ほどぼーっとしていたら、絵に描いたようなおおきなオムライスが出てきた。

一口食べる。うまい。なにこれ?なんの味これ?

うまさの暴力みたいなチキンライスと玉子の上にかかった濃くてすっぱいケチャップが強烈なアクセントになっていてクセになる。

夢中になって食べていたらお皿はいつのまにか空になっていて、着ていたダウンがケチャップまみれになっていた。なんだこれ。夢を見ていたのか?

しかしお腹はしっかりズッシリ重たくなっていた。さらに眠気が増していく。目も開けていられない。


すごく天気がよくて、部屋に差し込む光もあかるい。

床に寝転んで、久しぶりにミツメの昔のアルバムを通して聴いた。

時期ごとにやっていることが全然違うように感じる。

晴れの午睡に合うということは一貫している。もちろん曇りにも合う。

3月下旬に出るアルバムは2枚組でインスト版がつくらしいので、CDで買いたい。それまでには車のオーディオ以外のCDプレーヤーも確保しておきたい。


眠気をなんとかしたくて一旦昼寝をすることにして、起きたら日が落ちて部屋の光がグレーになっていて、それを認識した途端に絶望的な気分になった。

別になにがこわいでも、不快でも、おそろしいでもなく、暗くて誰もいなくて嫌だ。昼寝から目覚めた赤ん坊が泣くのとちょうど同じ理由だ。私は生後約300ヶ月だが。

自分の抱える不安も根源的になってきたなぁと、頭の隅の平静を保っている部分で考える。具体的な問題には対処しきった、あるいは問題としないことにしたということで、それはよいことのように思う。

現実分析はそれでよいして、本当に沈み込んでしまいそうな気分なので、なんとかせねばと焦る。

このままだときっと夜は眠れない。適度に疲労するために外に出るべきか?なんの用事もないが?でもまだ眠くはあるから運転は危険かもしれない。運転しなければどこにも行けない。じゃあこのまま部屋にいるべきか?でもここにいてもこの気分が持続するだけでは?ならば酒か?いや薬か?

いや、部屋がうっすら汚れているのがよくないのでは?と思い、暗くてあやしい曲をかけながら各所を磨いていたらだんだん落ち着いていった。

掃除の意味についてあまり腑に落ちておらず、つねにうすら汚れた部屋で過ごしてしまいがちなのを恥じている。どうにか清潔を保つ方法を考えたい。


とっぷり暮れたのでもう外に出るのはやめて、冷凍していた鯛のあらを解凍して鍋をつくって食べた。

なんにもめでたくはないが、鯛の出汁はうまい。

焼くよりも煮るほうが鯛のうまい身を余すところなく堪能できることがわかった。

しゃぶった骨を小皿に積み上げていると、不謹慎だけど納骨のときみたい、と思う。普段、食べものをこんなに丁寧に弔うことないよ。鯛ってほんとに王様なんだね。


定刻通り布団に入ったが、やはりまったく寝付けない。明日はきっと寝不足だ。無事を祈って寝る。