終わった話

経過した事物

2021.01.25

動揺して、眠りが浅くて、不安定になった。

脆弱め!仕方がないね。


恩師から連絡があり、来月の半ば頃に久しぶりにお会いすることになった。

時勢柄、遠くの約束しかできないことを日々歯がゆく思うが、希望を味わう速度がゆっくりになるのはいいことかもしれないと思う。

世の中は数年分を早送りしたように変化しているがその反面、人々の意識は0.5~0.25倍速くらいになっているような気がする。


希死念慮について、すっかり馴染みのものになってしまったなと思う。

それはずっと気分が最悪に落ち込んだ果てに行き着く考えだったんだけれども、ある時すごく前向きな気分で、疲れたしもういいや、と思った瞬間があって、それ以後は常に頭の片隅にその考えがある。

たとえば、いいことがあった時とか、うれしい気持ちになった時とか、すごく美しい風景を見たときなどに、もうここで終わりでいいや、と思う癖がついてしまった。

おそらくはこれ以上の望みがないと思っているんだと思う。人生は失い続けることだということに異論はないが、それを受け止め続けるのにはもう疲れてしまった。

あまりに自然な声かけだったので放置していたが、近ごろようやっと暴言だなと気付いた。

今日、なんでそんなこと言うの、と反論して問い詰めてみたら、だって私が褒めてくれない、と言っていた。そうか。たしかにね。


気絶するように仕事を終えて、帰宅していつもどうりに家事をした。

しかし洗濯物は一着洗い忘れるし、シャンプーの詰め替えを忘れたまま全身びちゃびちゃになるし、味噌汁は組み合わせがカオスの様相になるし、やっぱり脳のメモリが動作不良を起こしている。

文字も会話も頭に入ってこない。おバカなバラエティ番組の会話の意味だけがわかる。

こういう時はもがかずに寝るだけです。いつもよりも早めに寝る。