終わった話

経過した事物

2021.01.14

また、深く眠っていた。

近頃は起きる時にいつもより布団の中があたたかいような気がする。気温が上がっているのか、体温が上がっているのか。

かなり気持ちいいので、毎朝ちょっと驚く。


相変わらず藤井風さんのYouTubeチャンネルを見漁っている。

自分に自信がありそうだという旨のことを思っていたけれども、ファーストシングルのMVの撮影についてのインタビューを見て、また印象が変わった。

インタビューの中で彼は「初めてのMVの撮影は思っていたよりも難しくなく、神様がそばにいるような、天使が内にいるような感覚で、とても気持ちよく自信に満ちた気分で演じられた」と言っていた。

また、撮影に携わったスタッフやキャストがいかに素敵な存在だったかや、彼らのことをいかき大切に思っているかということについても語っていた。

風さんしかり、kemioさんしかり、同世代のスターは「神様」とか「みんな」とかの概念をとても自然な感覚で大切にしているように見える。存在や能力や出来事について「ギフト」という言葉もよく使われるように思う。

自分よりも大きな存在や他者の存在について、認めて信じていられることは強いことだ。そしてその気持ちがきっとその人をもっと強くするんだろうと思う。

私には信仰がないからそういった気持ちやそう考える理由を理解しきれていないのだろうけれども、その有り様にはあこがれがある。

そういう人たちの愛は、多方面に発光しているように見える。

そりゃ愛されるわな、と思う。


仕事はいい感じに盛り上がってきていて、いい感じ。

退勤後、トイレットペーパーを買いにドラッグストアに寄ったとき、自分と結婚しているかのようだな、と思った。

いや、正確にはもっとその前、家を出るタイミングでトイレットペーパーが切れているのに気付いて、帰りに買いにいかなきゃ、と思った時点でそう感じていた。

 

自分と付き合ったり、自分に付き合ったりすることの利点は、嫌なことをしなければ嫌なことをされないし、裏切らなければ裏切られないし、何があっても別れないし別れられないというところだ。

これまで長いあいだ何があっても自分の肉体と意識を手放せないのを苦しく思っていたけれども、むしろ自分自身は自分がそれらを不可抗力で喪う最期の瞬間まで自分に寄り添える存在にもまたなりうるのだ、と気づいて捉え方が変わった。

何があっても自分のそばにいてくれる存在があると思うと安心するし勇気が湧く。

風さんのいうところのハイヤーセルフというのは、これに近い概念だったりするのだろうか。


自分に結婚を申し込まれた自分は、花を抱きたくなったり、冷蔵庫を抱きたくなったり、近くの人を大切にしたくなったりしながら生きている。

自分はそれを、すこし遠い目をしつつも、どうぞお好きにおやりなさい、と見守っている。