終わった話

経過した事物

2021.01.09

高速バスに乗り、電車を乗り継ぎ、職場のある町に戻ってきた。

移動中はまたうるさい音楽を聞いていた。

ふと車窓を見たとき、雪の落ちる速度が遅くなってるのに気づいて、それでようやく南下してきたんだなと実感した。


駅に着くなり友人に拾ってもらい、そのまま新春カラオケと洒落込んだ。

移動の疲れで思ったよりも元気が出ずにいたが、東京事変の本人映像が流れたとたんにぁぁああぁ〜!!!!と声が出て、そうか縋りたい日だったのか、と思った。


友人宅でつまみを作り、それぞれの故郷の日本酒や焼酎をしこたま飲み、土曜ロードショーの『記憶にございません!』(三谷幸喜)を見た。

劇中に出てくる人たちはみんな前向きで、物語を前に進めるためだけに存在しているようで、その傷つけられなさに涙が出た。

そしてなぜだか太宰治の考えた悲劇名詞喜劇名詞のゲームを思い出して悲観的な気持ちになった。

文字通り、悲劇のヒロインになったつもりだったのだろうと思う。


日付を跨ぐ頃、友人は美味しい焼酎を嗜みすぎてヘロヘロになっていて、私は喜劇の悲劇性にヘロヘロになっていた。

宅飲みは人間の限界の状態を垣間見れるからおもしろい。

いやおもしろがってばかりもいられない。明日の午前中に映画を見に行く約束をしたが、このままだと互いに劇場に辿り着くこともままならない。

どうか二日酔いになりませんように、と祈ってお湯を飲んで、眠りについた。