終わった話

経過した事物

2020.12.31

部屋に母が入ってきてなかなか寝付けず、ようやっと寝られた、と思った瞬間に目が覚めた。

寝ながらにして寝付けない夢を見ていたようだった。

年の瀬、今日も調子は最悪だ。

 

朝、紅白歌合戦に備えて、NHKドキュメンタリー『筒美京平からの贈り物ー天才作曲家の素顔ー』を観た。

詞と詩の違い、詞(歌)と音(楽)の関係性、などについて思い耽らされる。

Twitterでぶつぶつ呟いていたら、ジャズをやっている友人が彼なりの説を詳しく教えてくれた。

子曰く、全ての音楽の根底には歌があり、歌から音階と文節と抑揚を切り取ったのがメロディなのではないか、とのこと。

歌の中の言葉に意味はあったりなかったりするが、歌抜きでは音楽の言いたいことは不明瞭になるらしい。

あまり理解しきれてはいないが、彼がそういう結論に辿り着いたことについて、おもしろいなと思った。

全然わからないことが頭に入ると、わかろうとする頭がこれまでになかった考え方や見方をしはじめるので、同じ世界にいながらにして解像度が一段とあがるようで楽しい。

 

お昼過ぎ、睡眠時間が足りていなくて、精神が限界になった。

調子が悪いと言い訳をして、自室に篭って夕方まで眠る。

日記を書けば調子が戻るかと思ったが、布団の中でいくらフリックをしても何も記せない。

うぞうぞする頭を無視して断続的に眠るしかない。

 

夕方、あんまり年を越す気力体力が残っていないが、紅白を見ればその気になるだろうと思って布団を出た。

仏壇からおせちを下ろすために、座布団の上で正座して手を合わせて息を深く吸う。

鼻腔を通って肺を満たす線香の香りに、気持ちが少し落ち着いた。

先祖、あるいは、はるか昔の歴史に想いを馳せると、いまここにいる自分のことが重要かつどうでもよく思える。

もうあれこれ考えるのをやめ、日本酒をあけておせちをいただいた。煮しめが問答無用でおいしくて唸る。これがプロの仕事か。

 

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東京事変の2020を見届けたあたりで気力が限界になり、自室に戻った。

布団の中で、Twitterでフォローしている人がやっていた除夜ラジオを聴いているうちに年が明けた。

物心ついてからゆく年くる年を見ずに年を越したのは初めてのことで、少なからず残念な思いがある。

でも、いまの自分にお似合いの有様だ、と思った。

無理はしない。別になんだっていい。今年も生きたい。