終わった話

経過した事物

2020.12.30

寒風吹き荒ぶ中、商店街を友人と散歩した。

地元の商店街は再開発が進む駅前エリアから離れた場所にあって、新旧さまざまな個人経営の店が並ぶ通りは資本や消費の強迫的な存在をあまり感じさせず、居心地がいい。

歩く人の属性も駅前に比べて人口ピラミッドの年代別分布に忠実で、落ち着いた雰囲気がある。

ランチを食べたあと、近くの市民美術館を訪れて、喫茶店で珈琲を飲んで話をした。

物事を適切に茶化せる人と話していると、おもしろいな、と思う。

それに加えて、一緒に絵を見たり音楽を聴いたりできる友人がいることをありがたく思っている。

出来事を共有することは簡単だが、それに伴う感情を共有することは簡単にできることじゃないし、誰とでもできることじゃないから。

 

夜遅く仕事から帰ってきた母があからさまに疲れていて不機嫌で、無自覚に父に当たり散らす様子を見て不快な気持ちになった。

不快な気持ちになるのは、自分にも心当たりがあるからだ。

感情の起伏の激しさとか、それを近しい人にぶつけてしまう感じとか。受け継いでいて逃れられない、と考えている。

早めに自室に戻ったが、母が部屋に入ってきて私にだけ優しく接するのが嫌で余計にイライラする。

私に縋らないでくれ。見ていて辛くなるから。

 

全くの別件で、遠くの親しい人と電話して、コミュニケーションの齟齬を正してもらった。

すごく誠実なことで、ありがたかった。誠実に応えたいと思った。

感情の起伏の激しさは、こういう気持ちを後押しもするから、全てを否定することはできないなと思ってしまう。

でも、それもいいんだかわるいんだかわかっていない。また新たなカオスを生むだけなのでは?

怖いし、自信がない。

せめて私の地獄には人を引き摺り込みたくない。