2020.12.28
母の仕事が休みだったので、一緒に出掛けた。
駅前の再開発を見て、昔からある(数年前に全面改装された)デパートで食事と買い物をし、今年オープンした新古書店で本を見繕った。
ここ数年、通い慣れた場所も目新しい場所も、どこもお洒落でシュッとした感じに様変わりしてっていっている。
伝統工芸品や地場産品が今風のデザインで売られていることも多くなった。
地元にいたころは、この街は文化を持っているのにあとはもう古びて廃れゆくだけだ、と思っていたけれども、ちゃんと汲み取って掬い上げて、昇華してくれる人がいるんだな。
私もこの街でがんばりたい、という気持ちになる。
あと、改装された店内で子ども用品売り場の面積が広がっているのを見て、勝手にうれしくなっている。
ああ我が地元、栄あれ、あれ。
新古書店では分厚い本を買って、年末年始の家篭りの心づもりが万全になった。
柿内正午さんの『プルーストを読む生活』を読む生活をする。
あと、坂口恭平さんが寄稿している『病と障害と、傍にあった本。』と、最果タヒさんの『好きの因数分解』も買ってきた。
これらはもしも気持ちがぐちゃぐちゃになったときに、それを慰めるための本。
なんにせよまずは、母から借りた『かもめ食堂』と片桐はいりさんのエッセイ2作(『わたしのマトカ』『グァテマラの弟』)を読了するところからだ。
拠点から移動して、その場とその場の自分に合わせて本を組み上げていくのは、なんだかキャンプのようで楽しい。
いつか旅行に行けるようになったら、旅先の書店で本を選んで読書して過ごしてみるのもいいかもしれない。帰りの荷物は増えるけれども。
母は古い絵本とブルーノ・ムナーリの絵本を買っていた。
私が料理や詩歌や社会学の棚を見ている間、母は絵本や紀行やエッセイの棚を見ているらしい。
親子でも、同じ本屋が好きでも、見る棚はけっこう異なるんだな、とおもしろい。
私と母は感情表現についてちょっと気質が異なり、かつての家族生活では、この人とは絶対にわかりあえないな……、と何度も苛立ったものだった。
しかし、たまにランチなどで向かい合って食事をするようになってからは、けっこう近しいところがあるかも、と思わされている。
ひとりで行動しているとき、自分の感情の動きや立ち振る舞いに母の面影を感じることもある。
お互いに覚えていることもあればそうでないことも多く、記憶はわりとすれ違っている。
逃れられない、と思ったこともあったけれども、人の発達なんてそんなもんか、と思ってからはそういうことをあまり気にしなくなった。
お互いにお茶の類が好きで、食後には必ずコーヒーか何かを頼む。
そうやって話をできる時間があることがいまはうれしい。