終わった話

経過した事物

2020.11.25

夜に魚を捌く予定が入っていて、そのことばかり考えていた。

 

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学生時代の友人がビデオ通話で魚の捌き方を教えてくれた。

台所でつくって食べながら人と話せるのは新感覚だった。

台所に立つとき人は大抵ひとりだが、ビデオ通話だと互いに勝手に作業しているのに会話ができる、というのがおもしろい。

できたはしからつまんで食べて、食べたはしからサッと洗って片付けてしまえるのも身軽だ。

これは、キッチンドランク入門編かもしれない。


捌いた鯖を竜田揚げにして日本酒をしこたま飲み、勢いにまかせて恋だの愛だのについて語り合った。

師曰く、恋は病気で、愛するなら冷静に相手を見極めた方がよくて、そんな相手に出会えるのは運命だとのこと。

運命を演出するのが恋、つまり病気なのでは?と問うと、それもそうとのこと。

どっち!?!?!?むずかしいよ。

そんなの、見分けがつけられない。


大学時代、英語の授業を担当されていた教授(アメリカ人、仏教徒)が授業中しきりに「愛とは何か」と問うていた。

授業は90分間教授の独白のようなもので、文法や文章表現についてはほとんど触れずに世の中のさまざまなトピックについて哲学的に語り、折にふれては「愛とは何か」とつぶやく。

最終レポートは「自分の考える愛について(英文)」だった。

5年前のあのころ、なにやら真剣に考えていたはずだけれども、何を書いたのか覚えていない。


愚かにも既に病気にかかってしまっていて、体内の衝動に戸惑っている。

友人に相談すると、満場一致でまぁ落ち着けよとの意見。

私だって落ち着きたいよ。脳が異常反応してしまっているんだよ。

ウェアイズ向井秀徳、蘇った性的衝動のいなし方まで教えてくれよ。