終わった話

経過した事物

2020.11.23

月。祝。

心臓がはやくて、いつもより1時間もはやく起きてしまった。

連休初日二日目と、好きな人たちに会いすぎたかもしれない。

すこし前に大きな喪失を経験してから、怒ったり悲しんだりコーヒーを飲んだりするとすぐに心臓が痛くなるようになってしまったが、嬉しさ楽しさでも痛くなるようになっていたとは予想外だった。

あたらしい行為や精神に肉体が追い付いていないのだろうか。

できればハッピーにやりたいけど、それで苦しくなるのは困る。

 

そうはいいつつ、今日も昼と夜に人に会う予定がある。

昨日買ってもらったパンとケーキを朝ごはんにしながら、いつも通り気持ちを吐き出すべく日記を書く。

心臓のはやさで頭がそわそわしていてなかなか筆が進まない。

普段の4倍くらいの時間をかけてブログをアップし、待ち合わせ場所に向かった。

在日ファンクの『爆弾こわい』を聴きながら歩く。鼓動を同じBPM対消滅させたい。

 

https://youtu.be/1H14XFS1zVo

 

ランチに誘ってくれた職場の先輩のことを、ずっときっとおもしろい人だと思っていて、お店に入って一緒のテーブルにつく前の段階、待ち合わせ場所に市立図書館を指定された時点でそれは確信に変わっていた。

職場のこと、生い立ちのこと、近頃の生活のこと、ふだん職場では到底にお話しできないことをテーブルにつくなりあけすけに話し合った。

予約されていたお店は以前あこがれてたまに通っていた、この町に似合わない(その建物の周りだけ空気がすこし浮わついている)くらいお洒落なワインバーだった。

土日祝の昼はブランチ営業とのことで、うまれてはじめてお昼から前菜の盛り合わせを食べる。

味蕾にくっつくすべてがうまい。ほんとうのさいわいとはこういうことか。ほんとか?

 

図書館に戻り、先輩はすぐ家に帰るとのことだったが、わたしは先輩と共にしたごはんと時間の濃密さにすっかり打ちのめされてしまっていて、しばらくのあいだ心臓を持て余しながらベンチに座って遠くを眺めていた。

差し込む光がだんだん傾いて暖色になっていく。

静かできれいで安心で、できることならばずっとここにいたいと思った。

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夜は旧知の友人にいまのこの心臓のはやさについて話を聞いてもらった。

話せば話すほど、今の自分が冷静さを欠いていることがわかる。

心臓を振り回しているし、心臓に振り回されている。本当にどうしてしまったの。

できることならば、平穏無事にすこやかにすごしたいだけなのに。

 

感情の上下が激しくて、行動する時はたいてい極端な選択肢を選んでしまう。

とりあえず一歩進みたいだけなのに、踏み出した勢いでいっきに十歩進んでしまうような感じ。

実際に会った人にはいつも冷静で落ち着いていると評されることが多いのだけれど、それは激しさを抑えようとする意識が強いからなのではないかと思う。

あるいは、落ち着いている自分と激しい自分の両方が存在しているのか。

身体の内側から左右に引っ張られて、引き裂かれてしまいそうだ。

 

信頼する友人の前で思う存分わーとかぎゃーとか騒がせてもらい、脳がわーっとうるさくなり、それでも疲れがまさって眠りに落ちた。