終わった話

経過した事物

2020.11.21

三連休初日。

いつも通り起きたが、どうやら昨夜のお酒が抜けていない。

午前中に用事を済ませるつもりが、身体の声をよく聞きながら準備をしていたらすぐに午後になった。

久しぶりに意識のある状態で家に長時間滞在したような気がする。

いないと疲れるし、いすぎても塞ぎ込むし、塩梅が難しい。


地元からりんごが届いたので、それを持って前職の会社に挨拶に行った。

精神的にヘロヘロになって辞めてしまった会社なので、皆んなに口々に元気になった?と尋ねられる。

元気です!と応えることにちょっと罪悪感がある。


会社を辞める時、失恋に似たような気持ちになった覚えがある。

そこで実現したい夢をもち、自分なりに愛した存在だった。

辞めてからしばらくは自分が選ばなかった人生のことについてばかり考えていた。

やはり、時間が経てば経つほど、社への思いは薄く遠くなっていく。

せめて遠くからでも応援する関係性を築きたいけど、かつての同僚一人一人への信頼があると同時に会社全体への不信感は拭いきれていなくて、まだそこまで大人にはなれていないんだな、と思う。


ビニール袋いっぱいに、製品にならない規格の大根だの人参だのごぼうだの、新しい加工品の試作だの、お菓子だの缶コーヒーだのを入れてもらって帰路についた。

ここの人たちは与えることに惜しみないところがうつくしかった。


夜は、1年半ぶりに会う友人とご飯を食べて、家に泊めてもらった。

日本全国の女同士が行っているであろう愚痴の吐き出し合いを飲み屋の個室で再現する。

仕事と肉体と精神の成長と衰えのタイミングが自分やまして他の誰かと完全に合致することってなかなかなかなくて、難しい。

いま私はまっさらで気楽なつもりでいるけど、私たちは根本的に人と生きるということからは逃れられないし、それは本当に大変なことだと思う。


友人がこの春から彼氏と同棲している部屋はどえらい広さの新築で、まるで2人くらい子供のいる家族が住む家のようで大いにたまげた。

存分にたまげおわると、そこかしこに転がる生活感が実家のようで、かえって落ち着く。

みんないろんな部屋に住んでいろんな仕事をしていろんな生活をしているんだなぁ。

みんなのそれぞれにちょっとずつ無責任にお邪魔させていただいている。