終わった話

経過した事物

2020.11.10

気がかりなことが多く、夢ばかり見る。

今朝は数度の中途覚醒の末、4時に目が覚めた。

そういう時はどうしようもないので本を読んだり日記を書いたりしていると、思いのほか調子が出てくる。

結果として出勤までに床掃除・洗濯・ゴミ出しの朝家事3連コンボをキメる大躍進だった。

こりゃいい日になりそうだ、と思ったのだが、職場でひとりになったタイミングでふと気がかりを思い出してしまってからというもの、一日ずっと気持ちが落ち込んでいた。

今日の気がかりは「元彼の家に元彼の荷物を届けに行く必要がある」ということ。

 

先月、長く付き合ってきた彼氏と別れ話になり、互いにさまざまに傷つけあった末、今月からひとり暮らしをすることになった。

突如降って湧いた(と認知している)生活の変化や喪失やショックについて、気持ちの整理をつけられずにいる。

普段、mitumeの『Ghosts』というアルバムをよく聴いている。

それが(おそらく)川辺素さんの失恋をもとに生まれた楽曲群だ、ということをアルバムがリリースされた当時の私は元彼(当時の彼氏)に言われるまで気づかなかったのだけれども、まさか自らの失恋をもなぞりながら聴くことになろうとは思ってもみなかった。

川辺さんの言う通り、なめらかな日々が経過している。

 

感情は行為までがピークで、行為後は思っていたよりも凪いでいるものだと思う。

訪問に伴うあれこれを想像しては苛立ったり悲しんだり寂しがったり絶望したりしていたが、いってしまえば、ドアを開けてドアを閉めるただそれだけのことだった。

そうはいいつつ、大の大人がこんなに動揺することがあってよいものかよ、と思う。

Phaさんの『夜のこと』というエッセイに似たような一節があった。

ほんとうに皆こんなことをしているのだろうか。

 

自分の手で一日を台無しにしてしまった自覚があったので、いくらかでも自分の手で取り戻そうと思って晩ごはんをつくった。

新たに最寄りとなったスーパーで特売68円のキャベツと迷って選んだ産直コーナー128円の玉のようなキャベツに、職場のおじさんの畑からもらった大根と、28円のもやしをゴマ油で炒めて味噌汁にした。

絶対に合う、という天啓にまかせて挽いた胡椒がうまいことキャベツと大根の甘さを際立たせてくれた。

農学部卒元農業法人従事者としてはかたなしの発言だが、小さな畑で育てられた野菜は大きな畑で育てられた野菜に比べて格段にうまい、と思う。

クラフトビールのようなものだろうか。味の違いが明確に感じられておもしろい。

 

最も喪失を感じていた時、自分に残ったものは自らの肉体と自由意志のみだ、と思った。

頭の中がどんなに絶望していても、肉体がある限り存在して意志に基づいて行為することができる。

ごはんを食べて栄養を摂取し、シャワーを浴びて表皮を清潔に保ち、双方を通じて体を温めておけば、自然と眠りに落ちて今日も肉体が維持される。

質の是非とか量の是非とかはいろいろあるけれども、それだけやっておけば後はそのときの自分の頭が判断してくれる。

大抵のことは大丈夫だ。

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