2020.11.9
起きた瞬間からさみしい日だった。
眠っている間にも考え事をしていたようで、ずっと夢を見ていた。
現実で嫌なことが起こるのを恐れるあまり、事前に想像して備えようとする癖がある。
私の頭の中の声が止まらないのはこの癖のせいかもしれない。
外に出たらえらく寒かった。秋が冬になる瞬間の日だったのかもしれない。
オンラインで仕事の打ち合わせの予定があったが、まだ自宅にインターネット回線がないため、wifiを求めて国道沿いのスターバックスに行った。
デカフェで甘すぎなくてちょっと変わったやつが飲みたいな、と思い、アーモンドミルクラテをデカフェにできるか尋ねると、「アーモンドお好きな感じですか?」と尋ねられた。
「はい、好きです」と答えると、
「でしたら、ラテにアーモンドトフィーシロップを入れた方が、甘くてもっと香り高くて、お値段も変わらないですよ!」とおすすめされた。
アーモンドミルクラテの存在意義とは……、などと混乱しつつ、
「じゃあ、せっかくなのでそれでお願いします」と答えた。
「わたしもアーモンド好きなんです!」とのこと。
教えてくれてありがとうございます、と言いたかったが、うまく声が出なかった。
カップを受け取るとき、シールにクマちゃんを描いてくれたことを自分から教えてくれた。
そういう親切を自分で言っちゃうんだ。でも、言われないとわからなかったな。
店員さんも店員さんのつくる会話もコーヒーもかわいくてうれしいな、と思った。
デカフェにはなっていなかった。こういうことは些末な問題だ。と思う癖もある。
打ち合せは事務的かつたのしく、次の仕事が楽しみになった。
1時間ほど話し、通話を切っても周りに人がいることにすこしの間動揺していた。
さっきまで会話していた人たちはここにいなくて、さっきまで会話をミュートしていた人たちがここにいる。
cero曰く、「同じ場所にいながら 離層に生きる者たち」(Waters)とのこと。
この言葉に対して、途方もなく寂しい気持ちになるときもあり、腹の底から勇気が湧いてくるときもある。
交わらなくても存在しているということや、存在しているだけで交わっているということ。
いわゆるカフェには、なにかをつくっている人や、なにかをつくりたそうな人、今はなにもつくりたくなさそうな人など、様々な人々がいて安心する。
とても暖かいコーヒーを飲んだ。いまだけすこしだけ寂しくない。