終わった話

経過した事物

家族さいこう

実家住まいの無職らしく、特に何もない一日を過ごした。

家族の中で一番遅く起きて、ごはんを食べて求職活動をして、ごはんを食べて買い出しに行って、両親と共に見るのは憚られる映画を見て、ごはんを作ってテレビを見ながらごはんを食べて、湯船に浸かった。

いまは早めに自室に戻り、両親と共に聴くのは憚られる音楽を聴きながら日記を書いている。

 

会社を辞めたきっかけのひとつに、祖父の容態が悪化したことがある。

祖父は数年前からひとり静かに大腸がんに侵されていて、2,3年前にそれがわかったときは親戚中が騒然となったものだけれども、検査も手術も受けずに残りの人生を過ごすことを選択し、酒を飲んだり句を詠んだりしながら暮らしている。

今年に入ってから祖父は自宅で転ぶことが多くなり、昨今の流行病が地方でも猛威を振るい始めるすこし前、転倒した際に頭を打ったことをきっかけに入院することとなった。

病院は医療行為を施される場所なので、祖父はぶつけた頭の具合を見るのと並行して改めてもろもろの検査を受け、私たちは残された時間を具体的にイメージできるようになった。

 

地元からやや離れた土地でそうした報せを聞いていた私は、県を越える移動の制限や病院での面会謝絶に焦る気持ちがつのり、そうした事情と向き合わず地元を離れたことを深く後悔した。

自己実現とか社会貢献といった言葉を信じて進路を選択したけれども、自分にとって大切なことはむしろもっと身近で身の回りのことなのかもしれないと思い、会社を辞め、実家の近くから通え(て自分と将来の配偶者の生活も成り立たせられ)る仕事を探している。

 

実家で過ごす日々は、そうした今後の生活をイメージする上で大切な時間だ、と改めて気づいた。

なんとなく、こちらに越してきて十年間くらいは仕事に打ち込み、家などを設け、早ければ自分が中年にさしかかり両親が前期高齢者になるあたりで介護とかがはじまる感じかな、と想像していたけれども、営みは物語ではなく事実の連なりなので、これからいろいろな状況が考えられる。

たとえば、(これはなるべく先の出来事であってほしいのだけれども、)父と母のどちらかが自宅に住むことができなくなった場合、すぐに同居が始まると思う。(いまはそうしたいと思っている)

そのときにあらためて父や母に向き合うのでは、おそらく間に合わない。

間に合わないということは、心を通わせることができずじまいで、後悔するということだ。

 

私はいま実家でテレビを見る時間やそこでの家族との会話を苦痛に感じているけれども、その要因や要素はこれまで目を背け続て誤魔化し続けていたものにほかならず、悪いことにそれらはこれからも目を背け誤魔化しつづけようとすればそうすることができる。

しかし、将来、定位家族と生殖家族の2つの家族の間で何らかの選択をするときに、いまうっすらと気づきつつあるその要因要素は絶対にわたし(たち)の最適解を歪めてしまう。

 

祖父の病気が発覚するもう少し前、脳梗塞で倒れてリハビリを受けていた祖母が亡くなった。

祖母は倒れた際に意識が混濁してしまい、救急病棟を出てリハビリテーションセンターに移ってから亡くなるまでには随分と時間があったが、その間ずっと意思疎通をすることが難しい状態にあった。

重要で緊急性の高い判断がひっきりなしに迫られる中、私たちは当人に相談することもできず、判断を迷うばかりで時間は過ぎていき、そうこうしている間に生きている祖母と向き合うことのできる時間は終わってしまった。

祖母の葬儀の準備をする間、親族同士で様々な会話や意見の表明や振り返りなどがあり、そのたびに怒りや悲しみの気持ちに振り回された。そのときも強い後悔があった。

いまでもどうすればよかったのか、この気持ちをどうすればよいのかわからない。

 

まぁ、前向きにやっていきたいなと考えている。

いまこれから生きる時間を疑いようもないくらい最高の時間にしたい。

幸せになることを諦めずに、満足して暮らしていきたい。

そのための、最高の家族になるための再考。