終わった話

経過した事物

2020/02/13

昨日はすこし出かけて会に参加していろいろな人とたのしくお話をし、今日は自分の認知の現実との乖離感に耐えられなくてまた頭がおかしくなった。

朝の支度をするにも自分が顔を洗ったのか顔を洗っていないのか服を正しく着られたのか着られていないのかすらわからなくって、混乱して泣きながら車を運転して会社に行き、ストーブにあたらせてもらいながらいろいろな人にいろいろなことを教えてもらい、言われたとおり気をつけて家に帰った。

10時あたりから眠って16時に起きて、それからずっと床でFishmansを聴いている。

 

ホルモンバランスか何かの影響で1~2ヶ月に1度ほど頭がおかしくなってしまう。

たとえば何かの懸念があったとして、普段なら些細だと片付けてしまえるそれらに対して過剰に感情的になってしまう。

これがダメならぜんぶダメでわたしはダメなような気がしてくる。とある失敗や懸念が大きな問題でわたしの人生はそれを解決できずに一生そのことで苦しんでいくような気がする。 こうあるべきではないのにいつまでもこうであってしまう自分に救いはないような気がしてしまう。

この思考回路がいわゆる認知のゆがみといったものであるということ、つまりこれがただの気分であるということは理解しているんだけれども、何年経ってもそれをコントロールすることができない。

 

ありがたいことに周りにいる人は本当にやさしくて、突然の混乱に相対してもまずはあたたかいところであたたかい飲み物をくれたり、一生それに付き合いなよ我々もそれに付き合うからといったようなことを伝えてくれたりする。

それはそれとして、この苦しみや社会生活への支障がこの先もずっと続くのだということについて、自分自身はまだ受け止めきれていない。

もちろんなるべく元気にやりたいのでどうにかしたいのですが、どうすればいいのかわからない。

 

長々となってしまったし推敲もできていないけど日記なので書き残します。書けない時もあるから、書けるときはぜんぶ書きたい。