終わった話

経過した事物

2022.09.27

 職場で雑談をしていたら思わぬ形で話題の中心になった、が、全然ゆかいな気分ではなくておもしろかった。誰の真意もよくわからないこの場で、軽々と中心に行ける人にちょっと憧れていたけれども、私が居たいのはそこではなかったらしい。

 風呂場で久しぶりにQUEENを聴いて、フレディーマーキュリーの声帯を通過してジェットコースターみたいに上下するメロディに大変愉快な気持ちになり、もしやここが世界の中心なのでは?という気分になったけれども、別にそんなことはなかった。と、髪を乾かしている間に気が付いた。

 八戸ブックフェスで購入した、木村書店のポップ担当さんの『ポップ担当日記』を読んでいる。ブースで見本を読ませていただいているときに、積極的かつ丁寧に本を紹介してくださっていた方が、ポプ担さんご本人でびっくりした。サイン本に名前を入れてくださるサービスを用意していてくださったのに、知らなかった人に知らない人の名前を書いていただくのが恥ずかしくなって、失礼ながらも名入れは遠慮してしまった。だけど、「でも、この場でいいと思って買ってもらったことが嬉しいです」と言っていただいて、これがこの本を描いた書店員さんの言葉なんだ、と思った。販促のおまけPOPには「ささやかな毎日のにぎやかなまんがです」とあり、素晴らしいことだなと思う。私の毎日も同じくささやかだけれども、そうそうにぎやかな日記を書くことはできない。日常のきらめきをきらめいたままに保存できる人のことを、すごいなと思うし、作家だな、と思う。

 ダメなんだけどなー、と思いつつもビールの栓を開けて、絹川柊佳さんの歌集『短歌になりたい』を読んだ。絹川さんの短歌は本当に格好いい。かわいくかしこく世を見ていて、すごいなと思う。短歌研究新人賞のことを知ってすぐの頃に、史上最年少で同賞を獲られたのが絹川さんだった。お元気でいらっしゃるだろうかと思っていたので、新しい本が出ていて嬉しい。

 ビールを1缶飲み終わる頃には、文字はただの意味になってしまって、それ以上何も読めなくなってしまった。