終わった話

経過した事物

2022.02.21

暴風雪の日。

すべての物体に微小な氷が張り付いていて、足首よりも下は氷溜まりに浸かっていて、何を触っても、何処に行っても、何をしようとも冷たい。

冷えた指先から感覚がなくなる速さと、生きていく気力が失われていく早さはほぼ一緒だと思う。少なくとも、私にとってはそうだ。

 

あれだけ蓄えた(と思っていた)余裕はどこへ行ったのやら、職場についたらまた動悸が止まらなくなった。

以前勤めていた職場とその前に属していた研究室では脅かされる日々を送っていて、その頃に決定的に心身の反応がおかしくなって以来、ちょっとした不安の予感だけで同じ状態に陥ってしまうようになった。

いま私は脅かされてはいないと頭ではわかっているんだけれども、それはそれとして、いま私は心臓がいたくて息はどう吸うんだっけ、の混乱。

こんなの本当に意味がない、と思ってからは、続けることをやめるか、やめることをやめるかの二択で、後者を選んではいるものの、別にその選択にも意味はないと感じる。

問題は、いまたしかに私がそう感じることと、いつかの自分がどう感じるかの間には、なんの関係もないということだ。

ということは、あまり不可逆な選択はせず、なるべく可逆的であったほうがいい。その合理性だけで不合理な判断を続けている。

 

家に帰って、やけくそで身体を温めて、飯を食ってお茶を飲んでクッキーを齧って、そういえば今日は暴風雪の日だった、と思いだした。

家の中は外とは比べ物にならないくらいに平穏で、ここにいさえすれば何の問題もないのに、と思う。

たぶん、私はまだ窓の外にいる。