終わった話

経過した事物

2021.07.18

混み合う直前の店内で買い物をして、思っていたよりもレジを混雑させてしまって申し訳なく思って、都合のよいことに店員さんに親しげに話しかけられて、やっと気がついた。

もうずっとだれとも話したくない。

 


想定外の繁忙さに背中を押され、気がついたら季節がふたつ変わっていた。

内容も待遇も負荷が少ないだろうとたかを括って新たに就いた仕事は思っていたよりも専門性が高く、どうやら自己研鑽をしないことにはずっとここにいることはできないようだった。

周囲の人にはわりとうまくやっていると思われているようだが、内心必死でやっている。ちゃんとできてるよ大丈夫そうだねって、そりゃ全速力で走っているからだよ。ダサいと思われるのが怖いから、息が切れてるのバレないようにしてるけど。

 


体力と気力のすべてを未知の事項の理解に充てていて、いつしか随筆も小説も短歌も詩も読まなくなった。

いつだって散歩をする余力もないくらいに眠いし、日記を書こうとしても気の利いた文面は浮かばない。

生活水準は安定して、かわりになんにも楽しくなくなった。

 


週末は酷暑を言い訳にして、クーラーを効かせた部屋に2日間こもっていた。

ついさっき梅雨が明けたばかりだというのに、この暑さを予測していたかのようにスーパーの棚には既に夏が並んでいて、それらを焼くなり茹でるなりして腹に入れた。

例えば、細切りにしたゴーヤを塩と砂糖で揉んで、小さい鍋にお湯を張っておよそ20秒だけ茹でて、鰹節と醤油と任意の油で和えるとすごく美味しい。

例えば、茹でているゴーヤのうち小さいやつを1つ摘んで、あと10秒火を入れたら甘味が増すだろうか、いや火を止めてお湯を捨てていたらその間に余熱で歯触りが変わるだろうからむしろいま引きあげてしまった方が瑞々しさが残って総合的に食味がいいんじゃないか、などと考えているとすごく楽しい。

こういうコミュニケーションをしている時間は心が安らげる。植物や食物だと気兼ねなくそうできるけれども、根本的には人に対してだってそうだ。

 

一方的に解釈して一方的に応対している時がいちばん気分がいい。

身勝手で独りよがりな考え方だけれども、幸か不幸か、そうしている方が相手の反応がいいこともある。

それをいいことにそうやって適当にやっているうちに想定外の親密さをまのあたりにして、怖くなって、また誰とも話したくなくなる。

いつだってそうだ。