終わった話

経過した事物

2021.05.13

周囲の勢いに押されるがままに繁忙。

定時後、気絶しながら手を動かしていたら最も負担に感じていた業務がいつの間にかが終わっていた。そういうやり方もあるんだな。極力やりたくはないけれども。

宵越しの残業代を持ちたくないような気がして、近くの洋食屋に晩ごはんを食べに行った。

がんばった仕事のあとにしっかりとしたテーブルの上でしっかりとしたごはんを食べるのは、以前の職場の上司に教えてもらったことだなと思い至った。

一方的に(かお互いにか、)尊敬して付いて回っていて、残業したしさせられたけど、よくごはんにつれてくれてってくれた。
そういったケアについて、自分で自分に施せるようになったことはかなりいいことだと思う。

あの場所に留まったままでそれを成せるようにならなかったことはさみしいことだけれども。

800円から1000円くらいの食べ物を迷わず注文できるような稼ぎに至れてよかった。

広いお皿に出てきたハンバーグは、熱くて味が濃くておいしかった。

 

3日前にホームセンターで298円で買った芍薬が帰るたびにふくらんでいて、それを見るとなんだか安心する。

生活の中に自分の意思以外によって変化するものがあるということは、おそらくいいことなんだと思う。花とか、草とか、他人とか。

花は人との距離感がちょうどいいからありがたい。自分も人からよくそう言われるので、ちょっとした親近感もある。

距離感がちょうどいいということはつまり、干渉しようする意思を持たない、ということだ。

それもそこそこさみしい話なんじゃないの、とも思うが。