終わった話

経過した事物

2021.05.12

意識の表面にヘドロがへばりついているようにねむくて、目が覚めたらもう仕度をしなくてはならない時間だった。

昨朝をきっかけに朝の散歩を習慣づけたかったのだけれども、残念、断念。

胃が目覚めるよりもはやく朝ごはんを流し込み、冷蔵庫から出したてのオレンジジュースをクッと飲んだその瞬間に目が覚めた。

その感覚がおもしろかったので、そこそこ機嫌よく仕事に出かけた。まだ口唇期なのか?

 

久しぶりに外作業をして、日光と運動でアドレナリンが出たのかやたらに仕事をしてしまった。

月に2回のノー残業デーに限ってイエス残業マンになってしまうのはどうしてなのか。(そこに答えは決してなく、この世にはリズムとタイミングのみがある。)

 

退勤後、シャワーを浴びてもごはんを食べ終わってもまだ脳が勝手に稼働しようとしてしまうので、クールダウンするために歩いて近くの銭湯に行った。

格子のタイルの中でとろとろぬるぬるしたお湯をまとっているとよく、羊水に浸かっている時もこんな心地だったのだろうか、ということを考える。知る由もないけど。でもそういう、考えること自体に意味のないことをことを考えたっていいと思う。そういうのこそ、楽しいので。

あとこれは余談だけど、独り身になってしばらく、公衆浴場に入ることをハグとか手を繋ぐこととかの代わりにしているところがあって、それでそれなりに満足している。

温かいところで裸でコミュニケーションするって、かなり根源的なふれあいだと思うから。

それにしても、自分が他者の胎内にスッポリ入っていたことがあるなんて、意識的にはなかなかに信じ難いことだな。憶えていないのが勿体ない。

 

帰り道、自分を追い越していった自転車に乗っていた大学生達が、明日のお昼ごはんを食べる時間がないという話をしていて、げに、と思った。
ついでに巻き起こった風を受けてもなお、サンダルを履いたくるぶしがあたたかくて、よかったと思った。