終わった話

経過した事物

2021.04.06


火曜日。昨日の自分から引き継いだ繁忙。

まだ全貌を把握していない中で全体に対して働きかけなければならない業務が多く、頻繁に混乱して疲れる。

昼過ぎあたりにふと、いつのまにかおおむねひと段落ついていることに気がつき、それからは力を抜いて細々としたことをやっていた。

帰れる時に帰ろうと思って定時で退勤して、駐車場にある桜の蕾の先端が芽吹きはじめているのを見留めて、すごくよい気分になった。

春の定時退勤はいい退勤。久しぶりに光が注ぐところを見た。

 

春が起きたことがうれしくて散歩をしたくなって、歩いて街の図書館に行って本を借りた。
坂口恭平さんの『けものになること』と、宮沢賢治先輩の『春と修羅 心象スケッチ』。

どちらも剥き出しの言葉が綴じられていて、ひらいているだけですごく格好いい。

ちょっとこわい人とも一緒にいられるのが本のいいところだ。枕元に置いておけば気兼ねなくいつでも会うことができる。

 

一旦家に帰ってお茶を飲んで、大学の先輩が送ってくれた新生活のお祝いをクロネコヤマトの配達員さんの手から受け取って、また歩いて今度は銭湯に行った。

銭湯の番台さんが、この街に越してきた日にほうぼうの体で入湯した私のことを覚えていてくれて、改めて互いの身の上話をできて嬉しかった。

毎日さまざまな銭湯に通っていて気付いたことは、人の体がさまざまであることと、裸の状態で出会った人の顔は忘れづらいのかもしれないということ。

土地勘も人づてもない町に来て、脱衣所や浴場で掛け合う声にかなり助けられている。

ガイドブックにもタウン情報誌にも載らない町の人の声を聞くことが好きで、旅行先ではよく下町の銭湯に通うことがあったが、そこに自分が固着することもあるとは思ってもみなかった。

 

帰る道すがら歩きながらビールを飲んでいたら、友人から恋愛相談の電話があり、はやく付き合っちゃいなよの一辺倒でいつのまにか1時間が経過していた。
電話の向こうで白熱しているであろう身体に対して自分の身体は夜風に冷えていて、その対比が不思議におもしろかった。

わたしたちはいつだって恒温しながら生きているんだな、と思った。

 

たぶん、ひとところに留まることはいろんな意味でこわいことで、なるべく散漫させていたくて、うろんな本を読んだりいろんな人に会ったりしている。

帰る場所を忘れてしまわないことはかなり重要なことで、しかし偶然そこに辿り着いているとき、私は裸になっているのかもしれない。