終わった話

経過した事物

2021.04.04

新しく越してきた街の中心には大きな通りがあって、そこに行政関係の施設が集められている。

綺麗な道に並木立つ大きな木々たちはどれも前の町の立派な神社にあったものと同じくらいに立派な幹をしていて、なんだか面食らう。

神社にしかなかったような立派な木々たちが一堂に介して並べられていることに不思議を感じる。

これらはどうやらどれもこれも昭和の初期に植えられたものらしい。

大きな街に来てしまった。そのうち私も並べられてしまいそうで、ちょっとこわい。

 

街の図書館は蔵書数はそこそこだがいい感じの本が揃っていて、選書の担当の方とは気が合いそうな気がする。

特に郷土資料のコーナーが充実していて、地元の歌人の歌集や土着の文芸誌のバックナンバーなどを読むことができた。

なんとなく可能性を感じて、この街で活動しているらしい歌会の名前をメモする。

この街で出会う人たちは誰も彼もいい感じのような気がしている。まだ会っていない人に出会いたい気持ちがある。

 

ようやく自宅に水を汲んだりお湯を沸かしたりする設備が整ったので、食料の買い出しをした。

とはいえすぐに出ていくつもりなので、生物は買わずにレトルトや冷凍食品などを中心にして最低限の栄養がとれてかつ精神がバテないバランスでデッキを組む。

今晩はニチレイの冷食のワンプレートにパウチのみそ汁のセット。おかずがあまりに美味しくてワンプレート分のお米だけで食べてしまうのは勿体無くて、パックのごはんをおかわりして食べた。

久しぶりにお腹いっぱいにごはんを食べて、ひと心地つく。ようやくこの家でも安定して生存活動を送れそうな気がする。すぐに出ていくつもりだけれども。

 

この数日間、廃屋のような借家の掃除と新しい職場での業務に追われ、まともに睡眠も取れず食事も摂れず、日記も書けず散歩もできず、親しい友人たちに泣き言を聞いてもらいながら生存を続けていた。

そろそろ余裕ができそうなので、また日記を書きたい。できることなら遡ってでも。

 

寝る前にはまた親しい人に電話をして、職場に関する不安を聞いてもらって合理的な言葉をもらって安心した。確実に側にいてもらうことで、かなり安心させてもらっている。

引っ越しをする以前に比べて、かなり人に寄りかかった生活をしてしまっている。いまは生存第一優先なのでそのようにしているけれども、生活が安定したときにどうなることやらわからない。また、自分が人に寄りかかっていることがこわくなるかもしれない。

でも、たとえこわくなったとしても、このありがたさとあたたかさは忘れたくないなと思う。

自分だけでは越えられない夜があったことを覚えておくことは、これからの自分にとってよいことのような気がする。