終わった話

経過した事物

2021.01.19

一日中、あかるい吹雪の中にいた。

きわめて軽い雪がたくさん降りつもり、強い風が吹くたびに舞い上がって視界が真白になる。

綺麗だな、と思っていた。室内にいる分には。


早朝に早出して雪かきに務めたことが考慮され、早上がりさせていただき明るいうちに帰宅した。

またしてもいつものリズムが崩れたことにソワソワしてしまう。

この時間を利用して買い出しとかに行っておいた方がいいような気がする。時間のあるうちにどこかでお茶とかを飲んでおいた方がいいような気がする。

が、いつもと同じくやる。帰って、洗濯してシャワーを浴びて、ごはんを作る。

チラチラと見える窓の外の夕焼けにそわそわする。やっぱり外に出た方がいいのか?

先日観た『めがね』で提唱されていた「たそがれ」の概念を思い出して再度思い直した。

誰そ彼時なんだから、黄昏をやればいいんだ。

 

時間があるからといってあえて手をかけることはないなと思い、夕飯は炊飯器で炊くだけの鶏飯と塩揉みのきゅうりで済ませることにした。これを海南鶏飯と定義しよう。

代わりに、空いた時間でチャイを淹れて飲む。

スパイスを砕いて鍋で煮立てるのは魔女のような気持ちになれて楽しい。

自分で用意した飲み物を飲んでいるうちに家にチェックインしたような気持ちになった。

自宅で淹れるチャイがわりと美味しいことすら忘れてしまっていた。

 

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フリータイムで読書などしたかったが、前日の日記を書いているうちに就寝時間になってしまう。

日記はとある日の分を書き終えたとしてもややあってすぐに翌日の分が発生するので、理論上、生きている限り書き終えられることがない。

その事実に安心しているところがある。

人生はネタ切れになることはないということ。