終わった話

経過した事物

2021.01.16

中途半端に酔って炬燵で眠り、午前3時頃に起きたらストロングな寝癖がついていた。

ベッドに戻って引き続き眠り、再び目覚めると9時だった。正午には家を出る必要がある。のろのろと準備をする。寝癖を直す気力はない。


同じ町に住む友人と待ち合わせて、この町でいちばん美味でいちばんお洒落でいちばんお高い料理屋さん(※個人の見解)にブランチを食べに行った。

どの皿もこの皿も、知らない味や知らない風味に味蕾の未知の部分がひらいていくような感覚がある。もはや快楽に近いレベルで暴力的に美味しい。

久しぶりに食事そのものを楽しんだ。

口に入るもの全てが新鮮な美味しさをもっているという体験は普段の暮らしの中ではそうそうできるものではないから、こういった特別な体験には十分なお金を払う価値が十二分にあると思う。

お会計に挑むにあたり、頭の中でそう3回唱える。

店を出て、過不足なく満腹になった、という気分になった。

そう思うときって、実情は大抵、過だ。

はやくも前菜のレバームースが胃にもたれはじめている。

 

腹と気持ちをこなすために散歩をしていると妙齢の女性と行き合った。

初対面の人と行き合った時は大抵、天気の話をしたあとに地元の話をして、よい一日をお過ごしくださいなどとささやかな祈りを伝え合ってお別れする。

彼女によると、私の地元の街の駅ビルには5人の凄腕占い師がいるらしく、彼女自身何度か占ってもらいに行ったことがあるらしい。

そんな事実は見たことも聞いたこともないが、本当にそうかもしれないと想像するだけでおもしろい。

妙な出会い方をした人は妙な話をしてくれるから好きだ。

こんなに親しくなったのにもう二度と会えないかもしれないということが、いつもすこしだけさみしい。

 

曇天の下をずっと歩いていると気分が停滞してきて、この灰色の空気を肺に取り込んでしまいたくて、代わりに煙草が吸いたくなってくる。

そういうポーズだとわかりきっているから、しない。買ってもどうせ定着しなくてやがて湿気らせてしまうし。つくづくダサい心身だよ。

 

ここのところ何故だかずっとうっすらと苛々していて、ひとりきりになると叫びたくて壊したくて心臓がはやくなる。

そして、その衝動を誰かや何かにぶつけないように気をつけながら生活していて、たぶん疲れている。

どっちなんだ。発散すればいいのか。安静にすればいいのか。

先月先々月の日記を見返すと案の定おおむね同じ日付におおむね同じことを言っていて驚き呆れた。

日記を辿るうちに、私の心身が思っているよりもいつも不調であること、ハイになってイライラする不調とローになってメソメソする不調の2種類があること、不調の程度は先々月よりは改善していること、などがわかった。

 

脳にこびりつくこの焦燥感は何なのだろう。

考えても意味のないことばかり考えてしまう。