終わった話

経過した事物

2020.12.20

朝から豪雪、家から出る気は失せた。

しかしながらスターバックスラテとチョコレートチャンクスコーンを嗜みたい気持ちになってしまい、くるみのスコーンを自炊した。

イメージ先行型だからこそ、あまりイメージに囚われすぎずに実際に手を動かすとなんとなく満足することもある。

 

f:id:mtdch:20201221213045j:image

 

夜に友人と一緒にM-1を見る約束をしているので、不意な孤独の訪れを恐れずに安心してこもっていられる。

YouTubeを見たり、図書館で借りた本を読んだり、映画を見たりして過ごした。

Amazonプライムビデオで『かもめ食堂』『めがね』『プール』の三部作(三部作ではない)が期間限定で見放題になっていてうれしい。

かつて母がディズニーランドあるいはフィンランドに行きたいと言っていたことを思い出し、一緒に行こう、と思った。

ちょうど学生時代の友人から電話がかかってきたのでフィンランド語を勉強するべきかどうか尋ねると、フィンランド語は習得がかなり難しいが、フィンランド人は外国人がフィンランド語を話すことをけっこう喜ぶ、という情報を得られた。

友人曰く、フィンランド人は自国の言語を複雑で表現豊かだと考えているところが日本人と似ているらしい。

英会話を頑張ろう、と思った。

 

 

M-1グランプリではマヂカルラブリーが優勝し、感慨深さに感極まってしまった。


友だちが誰ひとりいなかった中学生の頃、おおむね2007~2010年あたり、漫才を見ることだけが唯一の救いだった時期がある。

よくパソコンをいじっていて、YouTubeに違法アップロードされているいろいろな賞レースやネタ番組の動画をmp3にしてウォークマンに入れて、学校の登下校のときはそれを聴いていた。

家の外では誰とも話さなかった。話すことができなかった。漫才を見ている時間だけが笑える時間だった。漫才を見ている時間以外は本を読んでいた。とにかく暗い毎日だった。


毎年、M-1は敗者復活戦からGYAOの配信で見ていて、たしかピースとか流れ星とか千鳥とかが復活戦の常連だった。

私はモンスターエンジンとかポイズンガールバンドとかを応援していて、マヂカルラブリーも応援しているコンビのひとつだった。

大井競馬場の広い空の下、私の応援している人たちはいつもスーンとした空気を作り出していて、やっぱり誰とも共感できないのかなと、ストーブが切れて冷え込む部屋で私もスーンとした気持ちになっていた。


笑い飯が優勝して、M-1が終わって、島田紳助がいなくなった。

高校に入学して、友だちができて、生身の人と話せるようになって、お笑いを見なくなった。

2015年から再始動したゴールデンタイムの番組を、5年前まで開催されていた賞レースと同じものだとは思えずにいた。

 

今年のファイナリストの中にマヂカルラブリーの名前を見て、勝ってくれないかなぁ、と思った。

勝ってくれたら、2011年に死んだ私の亡霊が成仏できるような気がした。

2020年のM-1グランプリは、敗者復活戦の人たちもファイナリストの人たちもみんな知らない人ばかりだった。

どのコンビもすごくおもしろくて、好きなコンビが何組もできた。

王者になったのはマヂカルラブリーだった。

 

たまらなくなってしまった。思い出してしまった。

あの頃どれだけ助けられていたかを、助けを借りないために離れたことを、それらのことをすっかり忘れていたことを。

亡霊は蘇って、私に還ってきた。

あれから何度も死にたくなって、そのたびなんとか生きさらばえて、それはまるで生まれ変わったかのようで、その時々の自分を別々の自分のように思っていたけれども、全部ちゃんと連続した自分だった。

ちょっと、信じられないような気持ちでいる。

 

友人とおでんをつつきながらM-1を見る私はたしかにあの頃から連続して存在してきていて、隣にいる友人もたしかに連続した存在だ。

友人の悩みの話を聞いたが、私は彼女の苦しみそのものに触れることができない。

彼女の苦しみを取り除けるのが彼女自身だけであることを苦しく思った。

でも、連続する日々の中で、薄めたり濃くしたりしながらも、私たちの意識は存続していく。

私も彼女も、肉体が存続していく限り、ちゃんと連続して存在していくことができる。

せめて、その側にずっといたいと思った。