終わった話

経過した事物

2020.11.12

引っ越しをしたので、仕事終わりに役所に住所変更をしに行った。

定時近くの役所はいつもよりすこしけだるげで、何らかのルールに従ってピシッと整った姿の人たちのヨレている様子を見るとすこし安心する。

窓口の女性たちの髪の毛は白髪染めで一様に焦げ茶色になっていて、担当してくれた方の髪の根元が白く毛先がパサついているのを見て、信用できる、と思った。

人の情けないところやダサいところを愛してしまうのは、やさしさと勘違いされることが多いが、その理由はむろん自分自身が情けなくてダサいからだ。

 

せっかく街場に出たので、一人暮らしの部屋の話し相手に図書館で本を借りていく。

どこかで見つけて持ち帰って気に入って読んでいるzineの著者が寄稿している本を見つけてオッと思った。が、今日は借りない。

同じ棚にあった書店員のエッセイと、zineのつくり方の本を借りた。

それと、坂口恭平さんがおすすめしていた哲学者ドゥルーズの『哲学とは何か』と、カフカの全集の2巻も借りた。

ドゥルーズカフカの著作を選んでいると、彼らが遺した文字の量の膨大さと、そこにあったであろう孤独を想像して愉快な気持ちになってしまう。

こんなに頭がやかましい人もちゃんと生きていたんだから、私なんか余裕で大丈夫だよ。

全集の棚には寺山修司の著作集も並べられていた。高校生の頃、かの同郷のトリックスターに憧れていた。

当時の私は積雪でよく止まる汽車路線で通学していて、代替輸送でやってきた大型バスにちくま日本文学全集の彼の巻を忘れてからは、寺山修司への憧憬も薄れてしまった。

 

文字かり追っていると、興奮した精神がどんどん肉体を離れていき、意識だけの存在になってずっとここで文章を読んでいたい……という気持ちになってしまうので、そしてそれは労働を軸とする健康的な生活にとっては不都合なので、早々に図書館を離れる。

帰宅すると朝に温めなおした豚汁がコンロにそのまま乗っかっていたので、そのまま温めなおしてすぐに夕飯にした。

興奮をなだめるためにいつもどおり食べていつもどおりシャワーを浴びていつもよりすこし多めにお茶を飲む。

興奮と冷静を頻繁に行き来する自分のことをなんて面倒くさい人なんだろうと思う。

人にとってもだろうが、まず自分にとっても面倒くさい。いつも振り回されている。

でも、残された肉体と意志がこれなので、付き合っていくしかない。

そこに特別な意味はたぶんないんだと思う。

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